#レストラン

まさに天賦の才、
超一流の寿司職人へと昇り詰めるまで…

魚と対峙するときの
「瞬間的な勝負」にかける集中力、
これまさに天賦の才

「作田シェフが新しい店で握るそうだ」
この噂はあっという間に、シンガポールの美食家たちに広まり、「鮓煌」オープンの日が決まるや否や予約が殺到。

作田氏といえば、当地で唯一、2年連続ミシュラン2つ星を獲得した超名店で料理長を務めた名手として、熱狂的なファンが多数。「鮓煌」は開業からわずか1か月、当地で最も予約が取れない寿司屋として早くも食道楽憧れの一軒となっています。

その「鮓煌」総料理長の作田至生さんに、超一流の寿司職人へと昇り詰めるまでの半生を語っていただきました。



鮓煌 総料理長 作田至生さん
Yoshio Sakuta
北海道出身。札幌の名店「すし善」を経て、来星。前店「小康和」にて2年連続ミシュラン2つ星を受賞。2020年6月、「鮓煌」の総料理長に就任。




料理好きの少年、
腕一本で世界を目指す

海鮮の宝庫、北海道の地に生まれ育ったにもかかわらず、幼き日の作田氏は生魚が食せなかったと言います。
理由は、生臭いから。カッパ巻きしか食べられなかった作田氏が、敏感すぎるほどの味覚を武器に超一流の寿司職人へと昇り詰めるまでには、数々の偶然の導きがあったとか。ミシュランの名に決して胡座をかくことのない、謙虚で自然体な物言いでその半生を語ってくれました。



「子どもの頃から料理が好きで、両親が働いていたこともあって、よく台所に立っていました。小学校高学年のころには家族に喜んでもらいたくてコロッケを一人で作ったりね。卒業アルバムに書いた将来の夢は『一流のシェフ』でしたね。その頃は洋食がやりたかったんですが、高校を卒業したあと、姉夫婦が行きつけだった寿司屋で偶然アルバイトをしたことがこの道に進むきっかけになりました。

当時は生魚が苦手で寿司もろくに食べれなかったのですが。しかも労働時間は長いし、給料も安くてしんどかった。でも先輩がスペインのマジョルカ島で料理人として働いたという話がものすごく刺激的で。自分も海外で働いてみたくて、そのためには手に職を!という想いでともかく寿司屋で3年頑張ろうと決めたんです。

そしてちょうど3年目に、幸運にもサンフランシスコで働くチャンスが巡ってきました。親方にはまだ時期尚早と言われましたが、自分も若かったので違う世界へ飛び込みました。でもね、やっぱり経験不足で、店長にはボロクソに言われるし、悔しかったのなんの。それでもせっかくここまで来たんだし、ただでは帰れないと、違う店に移って踏ん張りました。有難いことにここで身についた英語が今も生きています。

20年前のアメリカは寿司ブームがちょうど落ち着いた頃で、和食が定着しつつありました。カジュアルに食べれるカリフォルニアロールとかね。もともと自分はどうせやるなら薄利多売ではなく、高級志向でという想いがありました。サンフランシスコ4年目に札幌の店から呼ばれて帰国を決めました」




当たり前のことを
当たり前にする、それだけ

帰国後、札幌で職人としてさらに腕を上げ、店のランクも上へ、上へ。ついに全国的にも名店としてその名を轟かせる「すし善」のカウンターに立つまでに。

「すし善では一流の江戸前の仕事をあらためて学ばせてもらいました。いろんな職人がいたので彼らから得るものも多かった。それから食器や設えの大切さも学びましたね。もちろん魚の選び方も。海外の手頃な店から、日本の名店と呼ばれる店まで経験し、魚の良し悪しが直感的に分かるようになったのは偶然の産物です。最初から高級店にいたら分からないこともあったと思うので」




まさに出世魚のように時に応じて変化し、自然の流れにうまく乗って成長し続けていく。自分はとても運がいいと繰り返し語る作田氏。偶然訪れた転機を逃さず、運を掴む。そんな彼に再び大きな転換期が到来します。

「もう一度、海外でやってみたいと思っていたときに、シンガポールで職を得たんです。前店の「小康和」です。私が来たときにはすでにミシュラン2つ星を獲得した、アジア最高峰の寿司屋でした。自分も2つ星を継続させることはできましたが、これは自分の力だとは思っていません。お店が持っていたクオリティーを維持しただけです。当たり前のことを、当たり前にする。それを積み重ねたまでです」




どこまでも控えめな作田氏ですが、その才能をグルメ界は放っておきません。
今年6月、満を持して開業した「鮓煌」は、作田氏の寿司あってこその一軒として誕生。ライブ感溢れる舞台装置としてのカウンターや器の数々など、細部に至るまで作田氏の夢を具現化したものとなりました。

「自分はミニマリストというか、インテリアも料理の出し方も余分な物を省くスタイルが好きなんです。それは料理も同じです。余分なことはしない。豊洲から届いた一級品の魚たちが美味しくなるよう、後押しをするだけです。江戸前を踏襲し、食材に応じて数種の塩や酢、昆布などを使い分けて仕事を施します。そのとき、これは感覚としか言いようがないのですが、魚の状態を感じ取って塩の量、漬け置く時間などを微妙に日々変えています。この一瞬の差が大きく味を左右するので。



でもいくら良い仕込みをしてもお客さんに出すときに集中力を切らしたらいけません。寿司は瞬間的な勝負なんです。力みすぎず、それでいて程よい緊張感を持ってお客さんをお迎えしたいと思っています」




作田氏がその長い指と大きな掌で、寿司を握るのはほんの数秒。当たり前のことを淡々とこなすなか、瞬間的に魅せる職人の集中した姿につい見惚れてしまいました。カウンターから差し出された、握りたての一貫に舌が歓喜したことは言うまでもありません。

今回ご紹介した「鮓煌」の詳しいお店情報はこちら


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