#復刻版パルティ

【1997年】復刻版パルティ-面白バックナンバーを振り返り

まだまだモノクロ印刷時代が続きます
懐かしい記事からシンガポール雑学まで

1994年創刊から四半世紀以上にわたり、シンガポールの情報を発信してきたPARTI。
この情報はPARTIの財産!(自分たちで言ってすみません)
独断と偏見で「面白い!」と思う記事をピックアップし、お届けしていきます。
今回は、『1997年』を振り返ります。


☞1997年バックナンバーの立ち読みはこちらから




1997年1月号/Vol.37

今回の振り返りバックナンバーは、1997年1月号P.4-5に掲載されていた、今はなきリャンコートでかつて人気を誇った「大丸デパート」の新装開店を祝した記事。

往時のことをもしご存知の方は、そのピカピカな姿にグッとくるのではと思います。ちなみにおもちゃ売り場の人気グッズは「アンパンマン」と「セーラームーン」だったとか。


\編集部コメント/
スヌーピーが大好きな営業T。写真にも載っている、こんな可愛らしい「スヌーピー売り場」のコーナーがあったら、この当時のライターさん同様、年甲斐もなく、私も立ち止まってしまうなぁ。ぬいぐるみって、ついつい欲しくなってしまいますよね……




1997年10月号/Vol.46

次にご紹介するのは、女子が大好き「アフタヌーンティー」ネタ。
現在でも、多くのホテルラウンジやカフェ等でアフタヌーンティーが楽しめますよね。上級者の方なんかは、いろんなところの食べ比べなんかもしているようで、来星中に一度は経験してみたいことの1つではないでしょうか。

1997年10月号P.4では、そもそも「アフタヌーンティー」「ハイティー」とは?
その起源をご紹介する記事が掲載されていましたので、ピックアップしてみました!



☝記事内容

やっぱり、シンガポールはハイティー天国


もうすっかり見飽きたブランドショップリストとともに、ガイドブックで目に付くのは「ハイティー特集」。
でもガイドブックに載るハイティーはいつもブッフェスタイルの食べ放題強調型で、つい腹一杯詰め込んで元を取らねば、などと思いがちです。
しかしこの地でも「伝統的イギリス式のハイティー」が結構主流なのにお気づきでしょうか。気取っているなどと言わず、たまにはこの伝統的「午後のお茶」に思いを馳せ、押し寄せる団体客とは少し違ったティーの楽しみ方をしてみませんか。


\そもそも、ハイティーの起源とは?/
1840年頃、イギリス南東部、ベッドフォードの美しい公爵夫人アンは毎日16時頃になると空腹から来る倦怠感に悩まされるのが常であった。ひかえめな婦人のアンだったが、ある日ついに耐えられず、メイドに命じて、紅茶、バターつきパンにジャム、ケーキを部屋までこっそり持ってこさせることに成功した。以来これがすっかり癖になり、上流社会の婦人達の間にも広まるようになった。

1880年になるとこの習慣にも相当こだわりがでてくる。貴婦人達は口ングドレスに身を包み、四輪馬車での散歩をしながらお茶を楽しむといった優雅なものであった。

エドワード七世の時代になると、ティータイムも遅くなり、公爵婦人アンの秘かなつまみ食い時代とはかなり様相も異なって、楽団有り大勢の給仕有りと華やかな社交生活には欠かせない日常行事の一つであった。

アフタヌーンティーは必ず、キュウリやサーモン、チーズの入ったサンドウィッチで始まる。それを飛ばしてスコーンや他のケーキに手を伸ばすのは作法知らずのすることであった。

このアフタヌーンティーは現在ではハイティーとも呼ばれ、良き時代ほど典雅なものではなくなりつつあるが、日の暮れかかる18時頃に食され、夕食代わりには十分。今でも北イングランド、スコットランド地方では、一日の労働が終わった後の大切なひとときとして皆で集い、濃く煎れた紅茶、スモークハム、卵、ベーコンハム、チーズパイ、トマト、蜂蜜、バタートーストで楽しい時間を過ごす習慣があるそうです。(リッツカールトン・シンガポール、ハイティー資料より)

とある高級ホテルに電話でハイティーの時間を訪ねたところ、「私どもではハイティーはやっておりません。イングリッシュ アフタヌーンティーでしたらございます」との返事。ぜひともこれらホテルの誇るアフタヌーンティーもしくはハイティーで、キュウリのサンドウィッチにトライし、ホテルのグレードを推し計ってみることをお勧めします。



1997年12月号/Vol.48

次にご紹介するのは、今あるのか、そしてあったとしてもコロナ禍では行けないと思いますが、1997年当時に人気のあったシンガポールからのショートトリップをご紹介。

娯楽が少ないといわれるシンガポール。ちょっと変わったクルージングの楽しみ方をご存じですか?



☝記事内容

クルージング編


最近(1997年当時)、日本のマスコミが取り上げる回数が増えたことから、観光客から人気を得ている「ケロン・クルーズ」は、シンガポールとマレーシアの国境線を一路、東南アジア唯一の洋上漁魚基地、水上生活者のいるケロンをクルージングを堪能しながら訪問します。

ケロンでは日本では決して見ることの出来ないケロン漁の楽しいアトラクションが待っています。さらに、クルージング終了後に頂く食事用に網イケスよりお好きな魚をご自 身ですくい上げます。

ケロンを満喫した後はマレーシアの田舎町を眺めながらシンガポールへと戻り、ケロンですくった魚を含めた豪華海鮮料理をたっぷり召し上がれ!

日本から、お友達やお客様がシンガポールへやって来た際のみならず、ご家族や夫 婦、はたまた友人同士で、ぜひとも出かけましょう。



1997年8月号/Vol.44

コーラルツリー、イゾラ、フランジパニ……。
シンガポールの街角でよく見かける色鮮やかな熱帯植物。日本人にとっては、名前を知らないお花も多いですよね。

今回は、1997年8月号P.4-5に掲載されていた、当地の景色を彩る代表的なお花を解説している過去記事をご紹介します。 シンガポールの豆知識としてぜひお楽しみください!(写真が見づらくてごめんなさい。)



☝記事内容

庭園都市シンガポールで見かける熱帯植物紹介


日本で目にすることのなかった、色鮮やかで、時には人工的にも映る熱帯の植物たち。
「この花は何という名前?」と日本からのお友達やお客さんに聞かれたら「この花はブーゲンビリアといって、花のように見えるピンク色の部分は、実は包葉で、その中に本当の白いかわいい花がかくれている。18世紀にブラジルでこの植物を見たフランスのナビゲーター、ルイス・ド・ブーゲンビルにちなんで名づけられたらしい」と説明できれば、もう尊敬の眼差しを受けること必然?かな。



それはともかく、今回は皆さんが、何げなく公園、道路脇や住宅地で必ずや見かけたことがあるであろう主要な植物を選んでみました。シンガポールに植樹されている植物のほんの一部ですが、学名でなく一般的に呼ばれている名称で紹介します。


コパーポッド・ツリー
またの名をイエローフレームという。シンガポールではこの名前がポピュラーだ。
マレーシア半島沿岸の原産で、生命力たくましく、細かな生育条件を要求しない。背が高く枝振りは傘がひらいたような形をしており、木陰を広範囲にわたって作るために、公園や街路樹として植えられている。



乾季には葉が短期間のうちに落ち、黄色い花は葉が完全に生えてくるまで咲き続ける。種の入った焦げ茶色のサヤが枝からぶら下がっているのも特徴。インドネシアのジャワ島では、この樹の樹皮をバティック染めの茶色の染料として使っているそうだ。


イゾラ
日本名サンタンカ。たくましく、花つきのよいかん木で、さまざまな条件下でも育つ。枝先に60近くもの房となって咲く花は色やサイズに富んでおり、東南アジアでもっとも人気のあるガーデンプラントのひとつでもある。


●I.JAVANICA ― もっとも一般的な種類で先のとがった大きな葉をもち、房状の花は朱色である。

●I.COCCINEA ― 小ぶりで、丸みのあるツヤツヤとした葉で、赤、黄、オレンジの花をつける。この種のイゾラは50㎝ほどの高さにしかならず、葉も花も小さく、低い生垣や本格的ヨーロッパスタイルの庭園に使われている。

●I.FINLAYSONIANA ― タイ原産で小ぶなイゾラの中では大きい部類に入る。芳香の白い花をつける。


コーラルツリー
日本名ディコ。南北アメリカ大陸、オーストラリア、アフリカ、東アジアを原産とし、65種にわたる。
乾季になると葉が落ち、すぐに深紅の花をつけ始める。この花の形から「トラのツメ(TIGER’S CLAW)」とも呼ばれる。挿し木をしても簡単に根付き、育つことから、ミャンマーの人々はこの植物を生命力のシンボルとして尊んでいるといわれる。




オーキッド 蘭
マレー半島原産のものだけでも800種あるという。掛け合わせで造られたものとなると、もうその数は何千とも。ご存じの方も多いと思うが、シンガポールとタイは蘭の切り花の輸出国として世界的にも有名だ。



●DENDROBIUM ― アジア蘭の中で最も大きく、また環境条件さえあえば、素人でも簡単に育てることができる種類。長くしなった小枝に咲く花は疑似電球のようで、色の種類が豊富だ。



●VANDA ― バンダは単茎性で、中心の茎から葉が一列に左右横に生えていて、その間から花梗が出ているのが特徴。花はかなり大ぶりで直径5cm~10cmもある。交配種バンダミスジョアキムはシンガポールの国花でもある。


バナナ
東南アジアのいたるところで見かける食用のバナナに加えて、庭園の鑑賞用として育てられているバナナも多種にわたり存在する。その種のバナナの果実は小さく、食用には向かないものであるが、特徴的な葉の形と樹冠からすっと伸びた大きな花(実は包葉)が美しく魅力的だ。




フランジパニ
仏教、ヒンズー教のセレモニーにおいて、お供え物としても用いられる。一方インドネシアとマレーシアではイスラム教徒墓地に植えられているのを見かける。オーストラリアでは「デッドマンズフィンガーズ」、インドでは 「テンプルツリー」とユニークな名前で呼ばれている。




パゴダ・フラワー
文字通り、宝塔の形に房状になって咲く。




プライド・オブ・インディア
またの名をローズ・オブ・インディア。しわしわのピンクの花びらが特徴。たくさんの花が枝に密集している眺めは壮観。
※誌面ファイリングの関係で、下記写真の一部に穴が開いております。お見苦しくてすいません



☟他WEBサイトより画像を持ってきました。このようなお花なのだそう。





1997年9月号/Vol.45

「泥棒市」って、皆さん、ご存知ですか?
玉石混交の超ローカルなフリーマーケットがかつてシンガポールで賑わっていたのです。さてさて、どんな市だったのか……!?

今回は、1997年9月号P.4-5に掲載された、現在はなくなってしまったであろう古き良きシンガポール風景の記事より。泥棒市の情報は1997年当時のものです。



☝記事内容

FLEA MARKETに行ってみよう!
路上市をのぞく


最新のものが簡単に手に入るシンガポールですが、アンティークものとなるとなかなかお目にかかる機会がありませんよね。
パリののみの市のようにオシャレなものは、残念ながら期待できないけれど、知る人ぞ知る、利用する人ぞするマーケットをご紹介。

その近くを通りかかることがあれば、ついでにのぞいてみてはいかが。掘り出しものがないとも限りません。それに金銭的な価値がなくても、自分が素敵、奇麗と思える物に出会えれば、それ十分見っけもん。これがフリーマーケットの醍醐味です。


ジャラン・パサール路上市(通称泥棒市場)
若い女性は、まず見かけない。平日の午前中に行ったら10軒ほどしかでていなかった。のぞきに来ていたマレー人のおじさんが「日曜日の午前中が一番店数が多くて、にぎわうから、その時に来たらいいよ」、と教えてくれた。

古銭、神様の像、時計、電機工具、ラジオ、おもちゃ、ヒスイの仏陀のペンダント、指輪、カメのはく製などなど、みんな年期がはいっている。
常連さんに「アマー」と呼ばれている、気のいいおばちゃんは紳士ズボンの古着をドーンと山のように積んで売っている。一着$3なり。「チープ、チープ」と言われても……正直言って、商品はほとんどガラクタに近く、泥棒市場とはよく名づけたものだと感心してしまう。

この辺りにはまだ古いショップハウスが残っていて、電気の傘、シャンデリアを売る店やキッチンウエアの専門店などが多くあるので、ここか、または隣のリトルインディア周辺をついでに、ジャランジャランしてみてはいかが。上半身裸で荷下ろしをしている人、路上の床屋さんなどオーチャード、シェントンウェイのような取り澄ましたシンガポールとは違う姿を見せてくれる。

■場所:ベンクーレン・ストリートが交差するプキティマ・ロードを過ぎるとジャラン・パサールと名前が変わり、シムリム・タワーを越えたら、そのすぐ右側。
■やっている時間:基本的に毎日朝9時から夕方6時。ただし、店によって異なる


チャイナタウン路上市
駐車場の一部を使って、中国系のおじさんたちが中古品を持ち寄って商売をしている。ここは、なかなか繁盛しており、特に日曜日は歩道まで店が並ぶ。商品は前述の泥棒市場にあるようなものが、もっときれいに手入れされており、もし気にったものがあれば買ってみようかな、という気にはなるところだ。

ロレックスの中古時計や半貴石、ヒスイなどがあり、確かな目をもっているならば、掘り出し物をみつけられそう。常連さん達は、宝石鑑定に使うようなルンペンを各自持参で、一生懸命あれこれと見ていた。その他、京劇のレコード、ビデオ、テレカ、仏陀グッズなども。そしてなぜか、有名人でもない一般人の時代物の写真。セピア色で着ている服も当時を語っているが、今はもうこの世にいないであろう、知らない人の写真をだれが買うのだろうか……。

セカンドハンドものは個人的にはあまり好きではないが、「もうこれからは手に入りにくいし、価値ありそう」と思った物に、 細かいビーズを模様にびっしりと縫い付けてある「ニョニャスリッパ」があった。そのままでは履物にはならないので、靴屋さんで形にしてもらうのであろうが、あれはぺラナカンの芸術品。無造作におかれていたが、なかなか価値あるアン ティークではないかと密かに思った。

無愛想といわれる中国系、しかも年配の人達がやっているので、ちょっと怖いかなーと思いながら行ったが、そうでもない。 「見て行きな!」と以外とやさしい。会話を聞いていると、ほとんど中国方言だが、簡単な英語ならOKのおじさんもいる。いざとなったら、ここはボディランゲージだ。

■場所:クロス・ストリートがサウスブリッジ・ロードに交差する駐車場
■やっている時間:毎日午後1時から5時ごろ


クラーク・キー・フリーマーケット
シンガポールで定期的に行われているフリーマーケットで最大の規模。
「ザ・キャナリー」の建物に沿って、出店が並ぶ。前述の2カ所に比べると小ぎれいなフリーマーケットだ。中古品だけでなく、一般の小売店もそのまま形式を変えて商売をしているのがここの特徴。時計のスオッチ、電子ペット、インテリアものなど、普通の店でも売っているものは、値段的に若干安くしているようだ。

取材に訪れたある日曜日、一つのアンティーク物の店で、TCS8チャンネルのクルーが店紹介の番組を撮っていた。そこの店は多くの商品を置いているが、一番に目を引いたのは、まだ使える蓄音機。レトロないい音をだしていたぞ。アンティークもの以外には CD、テープ、テレカ、ティーセット、おもちゃなども出ている。

■場所:クラーク・キー
■やっている時間:毎週日曜日朝9時から夕方5時まで


これらの他に、ナイトバザールがタングリン・モールで毎月第3土曜日夕方5時から夜11時まで行われている。みなさんも機会があれば、どうぞのぞいてみてください。シンガポール滞在の記念品が見つかるかもよ。


番外編:2014年7月号/Vol.247/P.25に掲載

2014年の人気連載「おかっぱのシンガぷ~らり」でも「泥棒市」に行った際の取材漫画がありましたので、一緒にお楽しみください!





1997年1月号/Vol.37

この当時、PARTI誌上で大人気だった永峯歩さんの連載記事。
1997年5月号で、一旦、最終回となりましたが、なんとなんと6月号より連載Ⅱがスタート。今読んでも面白い、文化ネタを4連発お届け!

まずは、「お名前は?」というタイトル記事から。
シンガポールで出会った人の名前を聞いて、どっちが名前で、どっちが苗字?と分からないことってありますよね。中華系、マレー系、インド系それぞれのお名前事情を、愉快痛快に解説しています。



☝記事内容

教えて~!SINGAPORE LIFE
「お名前とは?」


たまに「MSアユミ」と呼ばれる。
「いや、アユミってのは名前でね、ナガミネってのが名字なんですよね……」

それからよく、「ナガミィネ~」と名字を呼び捨てられたりもする。
自己紹介した時 「MSナガミネです」と言ったから。

あと、アユミとナガミネ、どっちが姓か名か聞かれることも、たまにある。
何故だ?確かに耳慣れない名前かもしれないが、英語で会話してるんだから、アユミ・ナガミネと言えば(名・姓)ではないか?

・・などと、名前に関して、ちょっとした疑問を抱いている人は多いと思う。実はシンガポール人は、民族によって『名前のオキテ』が遭ったりするのだ。日本人の言う『名字』の無い人もいる!?


中国系の名前
「タン・ホック・セン」のタンが姓で、ホック・センが名。英語で書く時も、普通は姓・名の順だが、たまに「ホック・セン、タン」と名・姓の場合もある。「ダニー・タン・ホック・セン」とか「タン・ホック・セン、ダニー」なんてゾロゾロした名前も最近はアリ。

英語で呼ぶ時は「ミスター(ドクター)・タン」。親しい仲なら「ダニー」……だけど、家に電話して「ダニーは居ますか?」と聞いて「ダニー?番号間違えたんじゃない?うちはチャイニーズの家庭だラー!」と怒られちゃう場合もあるので、中国語名も覚えといた方がいいよん。特に若いシンガポール人は「家族も知らない名前」を持っているようなので。


マレー系の名前
「オスマン・ビン・ズライミ(男性)」は、「ズライミの息子のオスマン」、「カキア・ヒンティ・アブドゥラ(女性)」は「アブドゥラの娘のカキア」。本人の名前の後に父親の名前をつけるのだ。

だから祖父が「ムスタファ・ビン・ムハマッド」なら、父が「アリ・ビン・ムスタファ」、息子が「ラシッド・ビン・アリ」。この『ビン(~の息子)』と『ビンティ(~の娘)』は省略する人も多い。国民的スターのファンディ・アーマッドとかね。

で、「ハメッド・オスマン」と聞いて、ミスター佐藤、ミスター・スミスの感覚で「ミスター・オスマン」と呼びたくなるのはヤマヤマですが、それでは彼のお父さんが返事してしまう。「ミスター・ハメッド」または「エンチッ(マレー語のMR)・ハメッド」が正解で、女性なら「チッ(MISS)・ザイーナ」とか「プアン(MRS)・アジサ」。

それから、メッカに巡礼した人は「ハジ(男性)」「ハジャ(女性)」 という敬称が名前の前についている。


インド系の名前
まず、クナセーグラムS/0マニカヴァサカム(男性)。『S/O』はSON OFで「~の息子」という意味、マレー系のビンと同じ。

マニカは父親の名前、クナセーグラムが本人の名前。短くして、クナS/0マニクとなる場合もあるし、「M.クナセーグラム」となったりもする。 シークの人(ターバン被ってる人)はシンという名前がついている。(例/ジョギンダル・シンS/Oボビンデル・シン)

女性なら『D/O』でDAUGHTER OF。カマラD/Oマニカブァサカムで、結婚して名字を変えるとカマラ・クナセーグラム(旦那の名前)となる。シークの女性はカウールという名前付きだ。(例/アマルジート・カウールD/Oグーデヴ・シン)。

また、先祖の代からキリスト教徒のインド系の人は、私たちの言う名字(ジョンとかペレイラとカフェルナンド等)があるのだ。

あー、たいへん、たいへん。その上夫婦別姓が常識のシンガポール。「ミセス・リー」と呼んだら「マダム・リーよ。ミセスで呼びたいならミセス・テン」とか、混乱しちゃう人も多いのでは?

初対面で「なんと呼んだらいいですか?」と聞いてしまうのが最善策だと思う。彼らだって、いきなりお父さんの名前で呼ばれたくないだろうしね。

だけどきっと、シンガポール人にしたって母音だらけで長い日本人の名前に戸惑っている。思い切って私らも「ジェニファーって呼んで」なんて自称してみるのは、どうだっ……???



1997年6月号/Vol.42

次に連載Ⅱ初回の1997年6月号P.13に掲載された「クリスタルパワー」について。



☝記事内容

教えて~!SINGAPORE LIFEⅡ
「クリスタルパワー」


様々な石は古来から人間の体と心の病いを治すパワーとして使われていたという……迷信?

でも、ある色とか物がいつもツキを呼ぶと言われるように、石にもパワーがあるのかも。美しさを求めるなら「ルビー」、「サファイア」は判断力と知性、創造力には「エメラルド」。

記事を書くならインスピレーションを与えるエメラルドがよさそうだけど、ちょっと予算オーバー。他に私と相性のいい石はどれかしら?まわりのシンガポール人にいい石の店はどこか聞くと、『フルショーセンター』がとても有名だヨという。そこである日 曜日、ワタシの石探しに行ってみた。

ブギス駅近くにあるこの古いショッピングセンターは、オーチャードやラッフルズホテルの店とは別世界。店も人も全て大衆チャイ ニーズの色が濃い。ブッダの像を売る店、手相人相の店、中国のスナックや漢方薬を売る店の他、仏教の本屋ではメディテーションのカセットテープがかかっている。

また風水の店は、シンガポールではかなり有名らしく、ショールームには家の各部屋の吉方角が説明してある。要するに全体がチャイニーズの精神的、霊的センターなのだ。 名前からしてフルショー(福緑寿)は、幸福、福徳、長命の意味。雰囲気に多少、面食らいながら地下に行ってみると、なにやら不思議な場面に出合った。

どこの店も閑古鳥が鳴いているのに、なぜか一軒だけ客がわんさとひしめきあっている。いったい何事だ?興味深々、よく見るとそこはまさにストーンを売る店。皆自分の石を買い求めているのだ。

まるで大セールのように興奮しているおばさん達の波に押されて入り、石を買いたいと言うと、まず私にぴったし必要な石を判断してくれるとお店の人。選んでくれる なんて、一石二鳥!イングリシュスピーキングの客は上の店だよと言われて一階の店に行った。

もう一軒あるなんて、この店繁盛しているなア。
店に入ると写真撮影コーナーがあり、なんと、私の”オーライメージ”を取ると言う。写真に個人のエネルギーの色が現れるから、それによって石の種類をアドバイスするんだって!

イスに座り、両脇の電気を通す四角いアルミニウム板上に両手を乗せ、目パチクリ、 ポラロイド写真一枚パチリ。私もトライしたいと一緒に行ったシンガポール人の友達も続く。

数分後、店のおじさんは二人の写真とコンピューターデータを持って来た。なるほど、 古来のエネルギー思想と最新の技術の組み合わせね。写真を比較してみると、色の違 いにびっくり!私の上体の回りは主に緑と青色が覆っているのに対し、友達はオレンジと赤。

お店のおじさんによると、友達の色はエネルギーを示し、心身共にバランスが取れていて比較的健康だし、特に石を買い求める必要はないとのこと。逆に私の色は、「wrong colour」だらけでひどい……時々無気力を示す白い色が現れているうえ、一番外側の色が黒いのはストレスがたまっている証拠だから、ホリデーでもとりなさいと言われる始末。

うーん、確かにこのところやけに疲れたし、ブツブツ言うわりには行動力がないし。おじさんいわく……人間の体はエネルギーのネットワークであり、七つのチャクラ=エネルギーセンターがある。科学的にもクリスタルは、振動を増幅する反射物としてコンピューターやレーザー技術にも使われている。時計にクオーツが使われていることは皆さんご存知だと思う。

クリスタルは我々体の電気磁気界も調整する。各チャクラのエネルギーと、クリスタルの電子が交じわって個人のエネルギーを増大するのだ。クリスタルの使用目的は、思考の明確、肉体力や健康の向上、感情の安定、直感や創造力を高めるなど……いろいろ。

一般に人気のあるダイヤはあまり治癒力はなく、かえって宝石と呼ばれる比較的安い 石(アメジスト、トルコ石、ガーネットなど)の方がパワフルだそうだ。そういえば、 よくチャイニーズのおじさんはヒスイの指環をしているけれど、ヒスイはビジネスに必要な判断力、及び、繁栄を与えるらしい。

店のおじさんは私を”エネルギー不足”と判断、 体の内臓を強くしエネルギーを与えるという、クオーツの一種「シトリン=黄水晶」を勧めた。でもシトリンなら何でもよいのではなく、デービットの星にカットされたものだけよし。このカットはエネルギーを引き寄せ集中させるんだって。

言われるままに買ちゃったけど、本当かしらん。結局、ペンダント用の石は88ドルで、高かったのは金のチェーン。他にも指輪、ブレスレット、キーホルダーや飾り物もあるし、単なる小さい石はバックに潜ませてお守りにできる。干支のセットなんか贈り物におもしろいかも。石のプレゼントなんてユニークだよ。

それから一ヶ月……
最近体の調子がいいのはクリスタルパワーのおかげ?単に心理的変化かもしれないけど、ま、一応活力も出てきてこの記事も書けたんだし。皆さんも、気分転換にフルショー体験はいかが?きっと、あなたの石との出会いがある?かもね。



1997年10月号/Vol.46

次にご紹介するのは、1997年10月号P.18に掲載された「シンガポール人とシングリッシュ」について。



☝記事内容

教えて~!SINGAPORE LIFEⅡ
「シンガポール人とシングリッシュについて」


いったい シングリッシュとは……何か?と思ってしまう。
この間、日本人の友達とシングリッシュについて話す機会があった。みんな、シングリッシュに対してネガテイブなイメージが多くてびっくり。

勿論、肯定派もいたけれど、あのシングリッシュを聞くとムカムカするとか、腹が立つなど、結構辛辣な意見もあった。はたしてそんなに”ヒドイ”言語なのだろう か。どうしてこの移民社会のシンガ ポールでこんなにシングリッシュが浸透したのだろう。

シンガポールの言語状況をさぐってみると、1965年の独立前のシンガポールでは、各移民は出身地の方言グループに分かれ、同じ地域に住んで助け合い、小社会を作っていた。

当時、違う方言グループとのコミュニケーションには、大多数の華僑の言葉である福建語が、また異民族間は、ブロークンマレー、すなわちバザールマレー語(バザールは市場の意味)が共通語として使われていた。

それが、シンガポール独立を境にして、政府は違う民族間のみならず、多々な方言グループに分裂してた中国人の統一とコミュニケーションを図り、多民族国家シンガポーリアンとしてのアイデンティティを作ろうとした。

皆に公平になるようにと、マレー語、中国語、英語、タミール語の4つを公用語にして、更に政治的、歴史、地理的状況をわきまえてマレー語を国語、ナショナルランゲージにしてしまった。(実際は儀式につかわれるなど、使用範囲は狭いが)。

そして、メディア、教育等あらゆる分野に実用的な言語政策を実施した結果、急速に公 用語は浸透して、中国語が福建語に代わって中国人の間で話されるようになり、英語がバザールマレー語にとって代わり、異民族間での共通語として受け入れられるようになっうになった。

昔の植民地時代は、英語は一部のエリートシンガポーリアンに話されるだけだったけど、独立後は急激に一般の人にも開かれ、学校では皆に教えられた結果、教育レベルや年代によっても、英語能力の違いが著しく見られるようになった。

でも、この短い期間で これだけ一般の人々が英語を話せるようになったのだから、中国語やマレー語など、他の影響があるシングリッシュは、シンガポールで受け入れられた英語といっていい。

シングリッシュの発音が汚いと言う人がいるが、ミスを気にして日本人のように黙りこむよりは、シンガポール人のコミュニカティブな態度は評価すべきだと思う。それにどこの国でもそこの標準語がある。 ウエールズやスコットランドではアクセントの強い英語が話されている他、イギリス国内でも皆がクイーンズイングリッシュを話さな い。

英国人は社会層によってアクセントが違うので英語の発音を聞いただけで、バックグラウンドがわかるとイギリス人は言う。更に英語と米語、カナダ英語、オーストラリア英語も各々違うし、どれが一番いいという問題じゃない。

日本人は皆が同じように日本語を話すので、他の国民もそうだと思っているらしい。 シンガポール人がシンガポールで話される言葉に愛着を持ち、シンガポール人として誇りを持つのは、自然な傾向なのだ。

また、買物や仕事をしていて、シンガポール人の態度がムカつくとよく聞く。日本人とシンガポール人との態度への価値観の違いも言葉に重なるらしい。

日本人は、自分の思っていることは言わなかったり、仕事の面でも無理して感情を隠すから優秀なサービスにつながるのだが、個人としてはストレスが溜る生活を余儀なくされる。若いシンガポール人は欧米人のようにはっきり言って気にしない方。善し悪し抜 きでこれは文化的価値観の違いなんだ。

シンガポール人バイリンガルの特徴は、日本人が敬語を話す相手や場合によって使いわけることができるように、TPOに合わせて自由に一つの言葉から他の言葉へ、また高いレベルから低いレベルへとスイッチできることだ。だから、教育の受けた人は、ブロークン英語からブリティッシュ英語まで使いこなせる。

日本人が日本人の英語はひどいと言う人は少ないけれど、シンガポール人の英語はヒドイという人は沢山いる。たどだとしい日本人の英語を一所懸命聞いて分かろうとするシンガポーリアンを見ると、自分に目を向ける代わりに、優越感を感じたがるのは、日本人の欠点かな、と思ってしまうのは私だけでしょうか?



1997年11月号/Vol.47

最後は、シンガポール人の子育て事情。1997年11月号P.18に掲載されています。



☝記事内容

教えて~!SINGAPORE LIFEⅡ
「シンガポーリアンと子育て」


シンガポール人女性は、結婚後はもちろん出産後も職場にすぐ復帰して仕事を続ける人が多い。でも、先日ある統計を見て、シンガポール人はいったん辞めたらそのまま家庭に入る人が多いのに対して、日本人女性は落ち着いたらパートタイムに戻る率が断然多いのに驚いた。

おそらくシンガポールでは、学歴のある人は高給料をもらえるから続ける人が多いが、そうでない人は月$1000前後の給料だとメイドを雇ったらもとがとれない、という賃金格差もネックになっていると思う。働くお母さんは得るものも多いけれど、処理する問題も多くて大変だ。

シンガポールでは、高学歴の女性は普通いいポジションの仕事に就け、年々昇給する。 確かに日本に比べて、女性の重役も多いし、経験、資格のある人に対してはまず女だか ら……と見下した態度はない。

日本だと、子供ができて、仕事を辞めて子育てに専念するのは、段々仕事を続ける人が多くなったとはいえ、圧倒的だ。仕事の上に家事をして夫の面倒を見て、とかなりの精神的・肉体的労働で、どうしてそこまでして働くの、と言う人もいるぐらい。

シンガポールは、と言えば、大抵おばあちゃんが助けてくれるか、メイドを雇ってこの大変な時期を乗り切ることができるから恵まれている。

でも、どちらも母親の代わりにはなれないし、なってほしくもない、と思うところからジレンマを感じるお母さんも多い。結婚後もずっと勤め、この間二人目の赤ちゃんを生んだシンガポーリアンの友達は、今仕事を辞めるべきか悩んでいるという。一番子供の発育に重要な幼児期に一緒にいてあげたい、と思う人は多いらしい。

また別の友達は、ずっとメイドを雇っているけれど、子供は自分よりメイドになついてしまって、日曜日にみんなで出掛ける時も子供はメイドと手を取って、取り残されたような気持ちになるという。親が面倒みてくれる場合でも教育方針が違ったり、いろいろと問題があると聞く。

同じメイドでも運がよければいい人にあたるけれど、ある友人のように、メイドとは問題があって何人も変えた末、半ばノイローゼ気味という人もいるし。彼女がこぼすには、何でも、前のメイドは自国ではキャリアウーマンだったが、シンガポールでのペイがよいので来星した。なにせ以前はメイドを雇っていたくらいで、家事を全くしたことがないから、料理も作れなければ、赤ちゃんの抱き方すら知らない、というので他の人に変えた。

しかし、このメイドはうそをつく人で、台所の掃除を頼んでも、目につくところだけふいて、後はコップの配置を変えただけ、友達が手で棚を触ってみると汚さは全然変わっていない、てなことが日常茶飯事なので違う人に変えた。

今度の人は、 オーナーが昼間は仕事でいないのを知っているから、なんと郵便配達のおじさんとよい仲になってしまったらしい。もちろん契約解雇。

最後のメイドは、正直者だけど、ボーッとしていて忘れっぽい。この間も赤ちゃんが病気だったので、薬を食後あげるように指示しておいたのに、忘れたと言う。

もちろんいいメイドさんもたくさんいるが、いつもいい人にあたるとは限らないのである。やっぱり自分で面倒みるのが一番安心、となるけれど、それを実行するには仕事に対する執着、経済的安定性などを捨てなければならないのだ。

キャリアウーマンだった人で主婦になった人が、最初はハウスワイフだと人に紹介された時、言うのが気恥ずかしいと、言っていたが確かにシンガポールでは「能力のある女性は仕事あり」と見る風潮がある。

労働力の足りないシンガポールでは女性が仕事を続けるのを奨励しているが、反面一緒に時間を過ごせない親は罪悪感から、何でもお金を与えて満足させ、家庭教育がおざなりにされている事態を心配している。

結局何が言いたいのか、と言うと、本人が自分で納得して、どのような方向にしろ頑張ってやれば、子供にも伝わるだろうし、いいのではないか、と思う。キャリアウーマン にしろハウスワイフにしろ、自分がまずハッピーで、子供にハッピーでいることを教えるのが一番重要かな、なんて思うこのごろです



1996年から引き続き、
リリー・ウォンのおまかせ!クッキング

1996年6月号よりスタートしたリリー・ウォン先生によるレシピページ。
リリー先生は日本在住歴も長いため、日本人の口に合うようなお料理をたくさん紹介してくれていますよ。



※広告は当時のものです

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