#復刻版パルティ

【1998年】復刻版パルティ-面白バックナンバーを振り返り

まだまだモノクロ印刷時代が続きます
懐かしい記事からシンガポール雑学まで

1994年創刊から四半世紀以上にわたり、シンガポールの情報を発信してきたPARTI。
この情報はPARTIの財産!(自分たちで言ってすみません)
独断と偏見で「面白い!」と思う記事をピックアップし、お届けしていきます。
今回は、『1998年』を振り返ります。



1998年では、「インターネット活用術」を特集している月がちらほら。今でこそ、一家に一台、はたまた一人一台パソコンを持っているのが当たり前の時代ですが、この当時はWindows95の爆発的ヒットにより、パソコンが巷に普及し始めた頃。こういう記事を見ると、ひしひしと時代の経過を感じますね。
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1998年2月号/Vol.50

まずはじめにご紹介する記事は、1998年2月号P.16に掲載された読者のミナコさんからパルティに寄せられたお便りの内容。

当時の水族館「アンダーウォーターワールド」がスポンサーとなって行われた「サンゴ救出作戦」に実際参加され、海を埋め立ててしまう前に元気なサンゴを移植するボランティア活動に携わったというお話です。



☝記事内容

読者からのメッセージコーナー
「ぱるとーく」ミナコさんからのお便り


シンガポールのアンダーウオーター・ワールドがスポンサーになっている、「サンゴ救出作戦」に参加しましたので、報告します。

これは、シスターズ・アイランズ沖の埋め立て予定地にあるサンゴをセントーサ近くの海に移そうという計画で、2カ月くらいの予定で行っているものです。10月1日には、埋め立てが始まってしまうので、それまでにできるだけたくさんのサンゴを移植しようと、週2回ボランティアによって行われています

私が行った日曜日は「ヘイズ」の危険サインが出ていたにもかかわらず、シンガポール人のダイバーが14人集まりました。午前9時頃、ワールドトレードセンターを出発し、11時頃から潜り始めました。あいにく透明度が悪かったのですが目が慣れるにつれ、いろいろなサンゴがあるのがわかりました。

取るのは比較的大きめのテーブルサンゴなどで、アネモネもクマノミも住んでいなければ取っていいとのことでした。サンゴを傷つけないようにと金槌で周りの岩を砕くのですが、意外と力が必要で、両手で金槌を持って打ちました。

岩ごと取ったサンゴは数人で抱えるようにして水面まで持ち上げられ、スノーケルをしている人達によって仕分けされて、金網のかごに入れられました。海の流れは強いし、巻き上げられた砂のために視界はますます悪くなるし、7、8メートルの深さとはいえ何回も潜降したり浮上したりの作業は体力が要りました。それでも、1時間後には2メートル四方の入れ物2つがサンゴでいっぱいになりました。

私達の行った作業はすべて手作業の原始的な方法で、まだ大きなサンゴがたくさん残っていたのに、救えたサンゴはほんのわずかでした。また、移植といってもそのサンゴを救うか、どうやったら根付くかといったことも試行錯誤の段階のようでした。

だから「こんなことをやっても何もならないのでは」という気もしました。それでも砂の嵐のような中をペアで泳いでいる魚を見ていたら、微力でもなんとかしていかなくてはいけないのではと思いました。

1997年は国連の「国際珊瑚礁の年」でした。もっと大々的なキャンペーンをして、もっと多くの人が参加できたら、救えるサンゴもおおくなるのにとも思いました。
(ミナコさんより)

\編集部コメント/
「NATIONAL PARKS」の情報によると、2021年現在、シンガポールの海には約250種のサンゴが生息しているそう。20年以上前のサンゴ救出活動も、きっと今のシンガポールの海を豊かにする一助となったのでしょうね。




1998年5月号/Vol.53

次にご紹介するのは、1998年、リバーバリーロードの開発が進み、日本人の注目度急上昇だったコンドミニアムのお宅訪問記事をピックアップ。

1998年5月号P.6では、今も健在の「UE SQUARE」が新築物件だったときに、編集部がお邪魔させていただき、レポートしています。新築当時で、3ベッドルーム(1,420sqf)で月額$4,000だったとか。物価の変化を感じてしまいますね。



☝記事内容

コンド訪問記


近頃どんどん新しく変わっていくリバーバリーロード周辺。
今回訪問した山本さんのお宅はその中でも近代的な外観で、一際目を引く新築の「UEスクエア」。メインゲートをくぐると真ん中にグリーンスペースをはさんで、左右にドーンとそびえ立っています。高層のコンドミニアムとはいえ、シンプルな外装で圧迫感も なく、とても明るい印象。まだ、空いている物件が多いせいか、とても静か。

シンガポール在住8年目の山本さんは、今回の引越で新築・交通・ファシリティの良さなどを考えて、はじめからこの「UEスクエア」に的を絞ってお部屋探しをされたそうです。

何件かの物件を見た中で、この部屋は第2希望だったそうですが、ここのオーナーがとてもいい人だったのが最終的な決め手になったということです。「入居の日に幸運を祈願 して中国の風習にあるミカンが2つキッチンに並べてあったのには感激しましたね」と山本さん。

そして、なんといっても、大丸まで徒歩3分というのは大きな魅力。その上、隣りのシェルハウスにもスーパーマー ケットやカフェなどがあります。「これはもうファシリティの一つですね」。毎日のお買い物も苦じゃないのは、羨ましい限りです。

新築ということで、エアコンなどのメンテナンス面も安心で、マネージメントの人も親切。とても満足されているご様子でしたが、無理矢理、短所を挙げて頂いたところ、ケーブルテレビが入らないことと、ダストシュートが部屋にないことがちょっと不便なところだとか……。

お部屋でお話をうかがっている間中、車の音も聞こえずホントに静か。広々としたリビングは日当りも良く、とても居心地がいい。全てご自分の家具を揃えられたのは、長く住むなら自分の好きな家具に囲まれて暮らしたいという山本さんの生活に対するこだわりから。おかげで、今回の引越も家具なしという条件で、家賃も割安という一石二鳥。こ れから、長く住む方には一つの案としていいかもしれませんね。



1998年4月号/Vol.52

次にご紹介するのは、1998年1月号で公募した読者アンケートの結果です。156名ものパルティ読者さんが回答してくださり、1998年4月号P.6に掲載されました。



\編集部コメント/
注目すべき点は、読者・人気レストラン調査の結果。いまも現存するレストランさんの名前が多く見受けられ、嬉しくなりました。ちなみに、ローカル部門1位のウエストレイクは営業Tのご用達レストランです。(←家が近いので)




1998年3月号/Vol.51

いつの時代も憧れる、豪華客船の旅。
コロナ禍のいま、シンガポールでは、クルーズ旅が大人気なのだとか。寄港地はなくとも、船内でのアクティビティや美味しいゴハンで、存分に非日常感を味わえるとあって、予約殺到中だそう。営業Tも休暇を貰っていきたいですね……

さて、ここでは1998年3月号P.4-5に掲載された「豪華客船に遊ぶ」という記事をご紹介。船旅の醍醐味や楽しみ方を学んでみましょう。



☝記事内容

豪華客船に遊ぶ
海の上でカモメになってしまうぜいたく体験


「客船はきっと行動範囲が狭くて退屈」と思う人は、もう海好き失格。
見渡す限り真っ青な海と空の船旅は、自分の世界を持っている、本当の休息を楽しむことができる人のものだから……。

とはいえ船内ですることは山ほどある。カジノにカラオケ、ゲームセンター、エステ、プール、子供のためのマジックショーからあらゆるエンターテイメント。遊び疲れたあとにデッキで風に吹かれながらひとり夜空を眺める。こんなひととき、なかなか体験できるものではありませんぞ。
<取材協力/サンクルーズ、プライムクルーズ>


出港前に
船出の地は、海の玄関ワールド・ トレード・センター。
まずは二階で出国手続き。そこからガラス越しに船の外観を眺めてみる。今回乗船した『サン・ヴィスタ号』(日本最大客船の『飛鳥』より大きい)は真っ白で実にフォトジェニック。

客室にすぐ通してくれるので、出港前に船内を観察しようと意気込む。今回、私の部屋は九〇一号室。つまり船の九階の先頭。窓が大きく、陽がいっぱいに差し込んでいる。 広いデッキ越しに海が見えて早くも気分はハイ。威勢よく着替えていたら、デッキを散策中の人と目が合った。

「さあ、これからどうしようか」と迷っていると、ベッドの上に置かれた船内新聞が目に着く。どこのデッキで何時に卓球大会があり、夜は何時にマジックショーが行われるかなど、船のスケジュールが一目瞭然。

家族で旅行中の奥様なら、だんな様をカジノへ、子供をチャイルドケアセンターへ放り込んでエステを楽しむも良し。一人旅ならデッキで心地よい海風に吹かれて読書をするのも良し。

この日、映画館で上映されていたのは『エアフォース・ワン』。日本の客船なら、お決まりのダンス教室や七宝焼き講座やらがあるのだが、この船ではホースレーシングやゴルフバッティング競争、カラオケ大会などがある。悩んだ末に卓球大会にエントリーする。なかなかエキサイティングな船なのだ。


船のだいご味
今回、パル子編集長に命じられて乗船したのは、サンヴィスタ号二泊三日のマラッカ海峡周辺往復のコース。途中どこにも寄港しないので、ただただ海を眺めていたい人には ぴったり。 昼間見えるのは空と海と水平線。夜ともなれば静かな波の音と星、星、また星の世界。月は手に届きそうな大きさで、本当にウサギか何かが飛び出してきそう。

「夜のデッキにはさぞかし人やカップルが」と思いきや、皆遊び疲れているか、数あるバーで飲んでいるかで、この夜は完全に先頭のデッキ貸し切り状態。上ってはいけないかもしれないはしごをよじ登り、大声で歌など歌ってしまう。幸せだなあ。

しかし、正直言ってしまうと私も前日の夜は星を眺めるどころではなかった。カジノでエキサイトしてしまったのだ。大中小またはチンチロリンと呼ばれるサイコロを使った ゲームで、「女一人でみっともないのではないか」とためらいつつも、誘惑に勝てなかった私は夜中の三時ごろまでテーブルにへばりついていた。その結果、モーニングコールまで頼んだ日の出も見られなくて朝食も逃す始末。「これではいけない!」と自分に活を入れる。


体重増加にご注意!
船の食事はすごい。短期間で太る可能性にかけては、飛行機の比ではない。船内新聞のダイニングアワーズを見れば、朝・昼・晩の三食に加えてアフタヌーンティー、ミッドナイトスペシャル、レイト・ナイト・ディライトなどなど、一日中間を置かずに食べ続けていられるほどなのだ。

もちろん料金はフリーで、基本的にブッフェスタイル。日本人の職人が握っているお寿司は、ネタ、シャリとも絶品。総勢七十六名のシェフの方々はほとんどシャングリラ、マンダリンを始めとする世界各国の有名ホテルのレストランから引き抜かれてきたのだという。

パンも全て船内の調理場で焼かれて、いつも焼き立て状態。二日目の晩には美しくきら めく生ガキが山積みされ、一人でたくさん取るのが恥ずかしい私は、ウェイターに頼んで席に持ってきてもらった。大皿にニダース。親切に感謝しつつありがたくいただく。


めくるめく夜の エンターテイメント
あっという間に夜になる。しかし、夜の過ごし方も幅広い。大きなステージのあるセレブリティールームでは、マジックショー、人形芝居、各種ショーなどが絶え間なく行われている。

十時ごろ見に行ったところ、金髪で肌も露な女性たちが身ぶりも激しいセクシーダンスで受けていた。その後もふんどしスタイルや宇宙人スタイルで何度も現れて楽しませてくれたが、ショーが終わって本来のハイライトらしき男性シンガーがドライアイスとともに現れると、観客はずんずん立ち上がり、結局半分以上も減ってしまうのだ。かわいそうな気がして最後まで残る。

お酒を飲めるバーはいくつもあり、税金がかかっていないのか値段も安い。酒飲みでない私は残念だったが、無理して飲むこともなかろう。あらためて船内とデッキを散策。 この船は大きいからなのか、航路のためなのか、とにかく揺れない。昔、日本で『にっぽん丸』に乗って死ぬほど酔ったことのある私は、酔い止めの薬まで用意して警戒して いたのだが、無用の心配だった。ほどよいエンジンの振動は心地よく、泥のように眠りこける。そんな二日や三日は本当にあっという間に過ぎてしまうのだ。


これからサン・ヴィスタ号に乗ろうとする人のためのアドバイス
●ゲスト・リレーションズ・オフィサーという女性が客船には必ずいる (日本人も一人常勤)ので、彼女たちに大いに頼りましょう。楽しい船の過ごし方から日の出の時刻まで何でも相談にのってくれます。

●客室のグレードはスタンダードからスイートまでさまざま。でも、部屋がインサイドかアウトサイドかつまり窓があるかないかで満足感に違いあり。

●船には無一文状態で乗ることも可。でも、お酒をたくさん飲む方は酒代、カジノで遊ぶつもりなら全額失っていいだけのおこづかいは持っていきましょう。


昔、客船アドバイザーなる人に、「日本人は西洋人と違って休息の取り方が下手。客船に乗っても船の中を走り回っていて、まるでデパートの中にいるようだ。海を全然楽しんでいない」などと言われたが、構うことはない、自分の時間は自分の好きなように過ごしたい。



1998年4月号/Vol.52

皆さん、ウェットマーケットをご存知ですか?
そこで、お買い物されたことはありますか?
少し難易度高いですよね……でも、大丈夫。
1998年4月号P.4-5では、ウェットマーケットでのお買い物術をご紹介しています。

今は便利なGoogleマップもあるし、携帯でメモも計算もできます。便利な世の中になったもんだ。ぜひシンガポールにいる間にトライしてみて!



☝記事内容

思い切ってウェットマーケット


ウェットマーケットご存知ですか。
いつも床が濡れているからこう呼ばれる生鮮市場のこと。スーパーよりずっと朝早くからオープンし、シンガポーリアンの熱気であふれています。英語はどうも苦手……という方も大丈夫。ウェットマーケットでのサバイバルお買物術をパルティがお教えします。


用意を整え、イザ出発
必要なものは、まず小銭。よほど大量に買わない限り、50ドル札でおつりをもらうのは難しいので、なるべく小さいお金をたくさん持って行きましょう。

服装は肉や魚の汁がとんだりしてもかまわないもの。着古したTシャツと短パンにつっかけ程度でいいのですが、そんなにヨレヨレな格好は恥ずかしいという方は、濡れたり汚れたりしてもいいスタイルならなんでもOK。

ただしバッグでも何でも、ブランド品はさけましょう。そしてメモ帳と筆記具。中国系が多いのでイザとなったら筆談するためです。値段が気になる人は電卓を持って行ってもいいでしょう。


ウェットマーケットはどこにある?
シンガポール人の台所として有名なのは、セラングーン・ロードのリトル・インディアの入り口にあるKK(ケーケー)マーケット(現在でいうテッカセンター)。肉、魚、青果はもちろん花や珍しい生ハーブなど、ここに行けばたいてい何でも揃います。

でもちょっとしたウェットマーケットなら、地元の人が住んているところにはどこにでもあります。 地図(分厚い「ストリート・ダイレクトリー」等)を見たり、人に関いたりして、家の近くのマーケットを見つけましょう。

近くまで行くと、手に手に野菜や肉の入ったビニール袋を提げたり、荷物満載のショッピングカートを押して戻ってくるお買物帰りの人たちを見かけるので、たいていすぐわかります。


多少の予習は必要
ウェットマーケットがスーパーと大きく違うのは、野菜や魚たちに名前が書かれていない、時には値段も書かれていないところです。

書いてあっても中国語のこともあり、それも漢字の場合と、中国語の読みをアルファベットで書いてある場合があるからややこしい。(その読みも方言発音の場合があります。)

目指す野菜が姿形で見分けられない場合は、スーパーなどで名札と野菜を普段からよく見比べて「予習」しておくのも良いでしょう。

魚は日本と種類も違うのでさらに難しく感じるかもしれませんが、日系スーパーなどで売られている魚には、日本語で種類や料理法の解説がついています。お買物のついでに ゆっくり目を通しておけば役に立ちます。値段も大体のめやすを覚えておくと安心です。

ウェットマーケットの肉は地元産のチキン、ダック(アヒル)、豚がほとんどです。スーパーで、モモやササミ、ハラなど、部位の名前を英語で覚えていくと、見てわからない時に便利です。


さて!いよいよ挑戦です
さあ、準備万端整ったらウェットマーケットへ出かけましょう!なるべく朝早いうちがベストです。朝7時にはもうお買物を済ませて戻ってくる人がたくさん歩いています。

マーケットに一歩踏み入れると、 何語かさえもわからない、威勢のいい言葉がポンポン飛び交っていて、ちょっとドキドキしますが、ここで引き下がってはダメ!

まず八百屋に入りましょう。目指す野菜が見つからない時には「ホワイトキャロット(大根)、Where?」などとそこらの人に堂々と聞きまくります。時には見たことがない野菜にも挑戦してみましょう。野菜はたいていどれもアクが少なく、さっと炒めれば食べられます。

「1公斤」と書いてあったら1キロのこと。 値段は普通キロ位で書いてありますが、必要な量だけ売ってくれるはず。野菜の場合、自分の選んだ量をお店の人に渡すか、店によっては直接、一種類ずつ計量ばかりに投げ込みます。まわりの人を観察して、まねしましょう。


英語ワカリマセン?ノープロブレム!
英語がわからないから……とおっしゃる方!
お店の人もたいてい、英語より中国語の方がうまいくらいです。中国語といってもマンダリン(北京語)ではなく福建語のことも多いのだから、気後れすることはありません。

マーケットはザワザワしたところなので、勇気を出して大きな声で、はっきりと話しましょう。May I……とか、Would you please……とか、日本人英語が丁寧すぎて通じないだけ、ってこともよくあります。

名詞+動詞+プリーズ程度の、シンプルな英語で言ってみましょう。
「3つね」「400グラム」など、言葉と一緒に指を立てて見せたり、ちょっとした工夫でずいぶん通じます。筆談も役に立ちます。数字や中国野菜の名前などでは効果抜群。


魚はいじくりまわして遊ぶ!
さて、八百屋はこのへんにして魚屋へ行ってみましょう。
冷蔵ケースはないものの、敷き詰められた氷の上に丸のままや切り身の魚、エビ、カニなどが並んでいます。周囲の人を観察してみましょう。あちこちから手が伸びて、ひっくり返したり押してみたりして魚を選んでいます。

そう、シンガポールでは魚は自分の目と手で選ぶもの。パック入りの魚に慣れてしまった私のような人間には触ったって今イチ違いがわからないのですが、それでももったいぶってみんなの真似をします。

魚の目がきれいに澄んでいるか、うろこが光っているか、身はしっかりして弾力があるか、自己流なりに判断します。魚を触って汚れた手は、台の下か台の隅の方に置いてある、手を洗うための水で洗います。

魚は結構高価な種類もあるので、「この魚を10ドル分ちょうだい」といった買い方をすることもできます。 魚を指さし、「This One for 10ダラー、プリーズね」と言って10ドル札を見せればOK。もし通じなかったり、思っていたよりずっと高い金額を言われたら、「NO~!」とシブい顔をして量を減らすか、種類を変えましょう。

ちっとも恥ずかしくはないですヨ。 納得のいくものを、納得のできる値段で買うのがウェットマーケットなのですから。


仕上げは果物屋へ
果物屋は比較的簡単。キロ単位の他には$2/3粒(3個で2ドル)などという表示もあります。日本と大きく違うのは、熱帯産の果物はしばしば、未熟で硬いうちに出荷されること。 冷蔵輸送などない時代、取扱いが簡単で傷みも少ない合理的な方法だったからです。真っ青なバナナがその良い例。

果物屋で買ってもまだかちかちで、とても食べられない物があるのはこのためです。どうか怒らないで下さいね。しばらく常温で置いておくと食べごろになります。柔らかく なったり、いい匂いがしてくるのが自安になります。


あとはチャレンジあるのみです!
最初は迫力負けしたり、思ったように買えなかったり、不本意なこともあるかもしれません。でも、ウェットマーケットは活気にあふれる素顔のシンガポールに出会える場所。ここに住んだのも何かの縁です。皆様、ぜひウェットマーケットをお試しあれ!



1998年2月号/Vol.50

この当時、シンガポールで肝炎が流行していたようで、その時のインタビュー内容をピックアップ。1998年2月号P.6に掲載されています。



☝記事内容

\シンガポールでは今、肝炎が話題に。
病院の先生に直接インタビューして聞いてみました/

シンガポールの医療のおはなし
肝炎について


風邪や口内炎にかかったくらいでも一日が憂鬱になったりしませんか。少し風邪気味なくらいでも、暗く落ちこんだり、機嫌が悪くなったりする人もいるでしょう。健康なときには考えもしない、でも失って初めて、いかにお金や物よりずっと大切だったかということに気づく健康。ほんのちょっと知識があれば避けられたことでも、そのちょっとした不注意がもとで、一生を後悔することだってあるのです。健康であることは一生の宝。その健康を脅かす可能性のあるものは積極的に排除していきましょう。


■シンガポールの状況
シンガポールでは毎年500人がウィルス性肝炎に感染すると言われており、中でも肝臓ガン患者の80%以上がウィルス感染者とあって関係各省も対応に必死。

感染理由の第一に挙げられる不用意なセックスについてこのほど警告を発した他、ナショナルプログラムとして、B型肝炎予防注射を新生児に施し、既に感染してしまっている 母や兄弟からの感染を防ぐなどの対策をこらしている。


■日本の状況
日本でも確実に感染によって増えていると思われるのがウイルス性肝炎。C型肝炎だけでも250万人以上が感染していると言われている。0-157、狂牛病、エイズ等の話題で、もちきりになる日本、それに比べて肝炎の響きはややマイルドに思われがち。

他人に感染するウイルスを持ち、本人に自覚症状がないこともあるために、充分注意が必要な病気であることを認識する必要がある。こじらすとかなりの確率で肝硬変や癌につながる。


■まとめ
肝炎に関して人々の知識が低く、他の感染病に比べて警戒心を持っていない人が多すぎること。ウィルス性肝炎にかかってしまうと必ずしも自覚症状が出ないので、自分で気づかずに他の人に移してしまう恐れのあること。

実際にキャリアーになってしまうと非常に治しにくく、人生に影響を与えかねない重大な病気になってしまうことなどが挙げられるのではないでしょうか。

表にも記したように、まず、不用意な性交渉や軽々しい行為は慎むこと、定期的に検診を受けることが当たり前のようでいて、絶対に必要なことと思われます。


■日本の病院で勤務されていた
お医者様からのアドバイス

まず第一に、日本の検診でウィルス性肝炎は検査の対象に入っていません。
郷に入っては郷に従うことは、この場合においては必要なことです。

「日本にいるときはせっせと検診に通う人もいるのに、外国に来るととたんに怠る人がいます。どんな病気でもそれにかかる前に予防すること(病気に対して抗体があるかないか)を知って、それに対抗する手段を尽くすこと、それが重要だということを知って欲しいですね。

また、発展途上国への旅行も今増えていますが、現地の人が大丈夫で同じ人間なのだから、という理由で不衛生な物を食べたり飲んだりするのは、間違っているし、非常に危険です。現地の人には先祖の代から続いた免疫があり、それを初めてその土地に行った旅行者に適用することは出来ませんので、自分の身を守るためにも注意して下さい。」


■注目
あなたの周りで生卵による肝炎感染のウワサが流れていませんか?
ここ数年、シンガポール在住日本人の方々の間で、生卵で肝炎感染するという全くのウワサ話が出回っているようです。

シンガポールの医療事情でそのような事実はないそうです。 賢いパルティ読者の皆さんはウワサや先入観で判断せず、正しい知識を持って病気予防をするよう心がけましょう!また、心配事がある方は一人で悩まず、信用できる専門医師に少しでも早く相談しましょう。

<情報協力:マウントエリザベス ジャパニーズ メディカルクリニック>



1998年11月号/Vol.59

上記、病気ネタに続き、1998年9月号よりジャパン・グリーン・クリニック協力のもと、「南の国のお医者さん」という連載ページがスタート。

その中より、11月号P.12に掲載のあった「食中毒」の記事をピックアップ。毎日湿気が多く暑いシンガポール。お弁当などは十分に気をつけないとですね。



☝記事内容

南の国のお医者さん
食中毒について


南国での生活で割と出くわしやすいのが細菌性の食中毒です。
感染した菌が増殖したり、菌が毒素を出すことによって、吐き気、嘔吐、腹痛、下痢などの急性胃腸炎の症状で発病します。

病原菌は、腸炎ビブリオ、サルモネラ菌、病原大腸菌、ウエルシュ菌、ぶどう球菌、キャンピロバクター、ボツリヌス菌など様々で、この他、ウイルスによる胃腸炎もあります。食中毒は多くの場合数日で軽快しますが、中にはボツリヌス菌や一部の病原性大腸菌による食中毒の様に、重篤に至ることもありますので、注意が必要です。


■感染源
菌に汚染された魚介類、その加工品、菌を持っている鶏、豚、牛などの肉、生卵、乳製品、汚染された水でつくった氷など。病原菌によって感染源が違う傾向があるので、発病前に食べたもので菌を推定できることがあります。(腸炎ビブリオ菌は魚介類が多い、サルモネラ菌は鶏、豚、牛などが多いなど。)また、滅菌が不十分な器具による調理、汚染された水を使った洗浄、調理する人の不十分な手洗いなどによって菌が食べ物に移ることも考えられます。


■症状
普通、感染後数時間で吐き気、嘔吐、腹痛、下痢(水様便、時に粘血便)などが現れます。突発的・激烈なのでそちらに目を奪われがちですが、気をつけなければいけないのは、頻繁な下痢や嘔吐による脱水症状です。基礎体力のない子供や老人ほどしっかり手当てしなければなりません。ボツリヌス菌による食中毒はまれですが、神経症状を伴い危険です。


■診断と治療
症状がひどければ我慢せず受診しましょう。脱水症状や腹痛、発熱に対する対症療法と、細菌性とわかれば抗生物質の投与をしてくれます。症状が重かったり長引いたりする時は、確定診断のため便の培養検査を行ない、菌を特定します。なお、症状がおさまっても菌が残っていること(保菌状態)もあるので、一人で判断せず医師とよく相談しましょう。


■家庭看護
水分補給で嘔吐、下痢による脱水症状に対処する必要があります。水分だけでなく電解質も失われますので、両方補給できるスポーツドリンクがベターです。食事は繊維質の多いもの(青野菜・根菜など)、乳製品(牛乳・ヨーグルトなど)、油っこいもの、刺激のあるものは避け、おかゆなど消化の良いものを選びましょう。果物はしぼった方が繊維質が取り除けます。小さい子ほど脱水症状と全身脱力感がひどく、水分補給も難しいので、注意が必要です。


■予防
食べる人・調理する人の手洗いの励行と食品の加熱、食器・調理器具の加熱殺菌が基本です。食中毒に限らず、A型肝炎、赤痢、腸チフス、コレラなどの経口感染症の予防にもなります。

下にヒントを挙げてみましたので参考になさってください。
●火の通りきっていない魚介類、生牡蠣、生卵、調理後時間の経った弁当などはあえて口にしない。
●旅先での食事や屋台食は特に要注意。
●おにぎりなどを食べる前には必ず手洗いを。
●調理器具は熱湯消毒。肉や魚には別のまな板を用意。
●買い物後は悪くならないうちに冷蔵庫へ。肉や魚介類はビニール袋やポリ容器に入れて冷蔵。

<情報協力:ジャパン グリーン クリニック>



1998年7月号/Vol.55

この当時、PARTI誌上で大人気だった明海さんの連載「二カ国目の外国 SINGAPORE」より、ここから5連発でコラム記事をご紹介!シンガポールという国を、彼女なりに分析。とても鋭い目線で語っており、面白い内容になっています。

1発目は、7月号P.17に掲載されている「景気冷え込むシンガポールでの変化……」。
2021年現在も、コロナの影響で経済に大きな影響が出ており景気が悪い。この当時と今を比べてみると、とても興味深い結果が……



☝記事内容

景気冷え込みでシンガポール人の生活にも変化?


昨年のタイを初めとする通貨危機から始まり、今年早々にはインドネシアの政情不安定とともに、通貨が極端に下落した。

シンガポールはインドネシアの隣国ということもあ り、投資のみならずいろいろな意味で深く関係を持っており、シンガポール人も経済、景気の冷え込みに不安を感じていると思いきや、4月初めのストレーツタイムス紙(こち らの英字紙)では、90%の人が現在および5年先のシンガポール経済危機に不安を感じないというなんとも驚く数字を見た。

年齢に関係なくほとんどの回答者は今回の経済危機は長くは続かないもしくは、シンガポールに影響を与えないと考えているというデータも出ていた。日本のバブルを体験している私だけが不安がっているのか、それともシンガポール人がのんきすぎるのか、とにかくこのデータに私は不安を感じていた。

それから2ヶ月もしないうちに新聞でも取り上げる内容やニュアンスが大きく変ってきた。「1985年のリセッションより深刻な今の経済」と題され、98年の第1四半期の経済成長は5.6%のプラス成長であったものの、第2四半期からマイナス成長となり、98年度全体でもマイナス成長とつい先週のストレートタイムスが報じていた。

もちろん人々の生活にも変化が生じ始めている。
まず、ジョブホッピングのシンガポール人が転職に慎重になり始めてきた。リストラが始まっている小売り業や製造業などで職を失う人々が多発している中、今の職があるだけでもいいという慎重派が増えているからであろう。

次にシンガポール人の娯楽?の1つであるダイニング。
かつて混雑していたボートキーや、クラークキーに昔の面影はない。高い賃料についてオーナーと交渉しなければ、店を維持できないところもでてきているようだ。

一流ホテルのレストランも数カ月前と比べるとずいぶん静かに感じられる程、客の数が減ってい る。それとは反対に繁盛しているのが、フードコート。 最近メリディアンホテルにオープンしたフードコートは人気上昇中である。

最後にグレートシンガポールセール。
私が来星した3年前は、チャイニーズニューイヤのセールが終わったら、グレートシンガポールセールまではほとんどの店がセールを実施しなかった。だからこそ、このグレートシンガポールセールが待ち遠しかったし、それなりのインパクトをもつことができた。

それなのにどうしたことだろう。今年は昨年のクリスマスセールからチャイニーズニューイヤーセールに引き続き、その後も最近のグレートシンガポールが始まるまで、ずっとセール期間を続行している有り様である。いつでもセールをしているので、グレートシンガポールセールとの差別化が全然見えてこない。

主人の会社に応募にくる人たちも、仕事に興味があれば、以前いた会社と同じか若干下 回った給料でも働きたいといってきたり、1~2ヶ月無償でもよいから使ってもらい、その後、運がよければ、採用されることを希望しているアート関係の新卒者たち。

以前とりあげられた5C(コンドミニアム、車、現金、キャリア、カード)はどこにいってしまったのか、ひしひしと日々の生活が変化しているのを感じている。



1998年3月号/Vol.51

明海さんの大人気連載コラム「二カ国目の外国 SINGAPORE」。2発目にご紹介するのは、3月号P.18に掲載されている「下着広告が大変な国……」。



☝記事内容

案外保守的なシンガポーリアン。
ここは下着広告が大変な国?


昨年働いていた広告代理店で、私は、某下着メーカーの広告を担当していた。
そこで私は日本とあまりに違う感覚の違いに驚くと同時に、いかに効果的な宣伝をするのが難しいかを知った。

まず、モデルの決定。
毎回新作が出ると同時に我々はその宣伝広告を作る。ただほとんどといっていい程、シンガポール人は下着のモデルには応募してこない。日本では、ここ数年ヌードになることすら抵抗のない女性が多いなか、シンガポールはまだまだこの部分では保守的だ。

友人のシンガポール人は、「日本に住んでいた時、温泉では皆裸になっていたが、私にはとても理解できない」と言っていた。ふむふむ、アメリカでもロスの郊外に温泉があると聞き、出向いていったが、みんな水着を着ていた。日本だけが独特なのかもしれない。

前置きはさておき、こんな具合で、モデルはシンガポー ルに短期滞在しているわずかな欧米人からの選抜となる訳である。やっとのことでモデルが決定したら、次の難関—広告をだす前にそのビジュアルを載せられるか、各々のメディアにも許可を取ることを始め る。

これらは、どこも白黒はっきりした規定がなく、ビジュアルを見て決めるという状態。 新聞、雑誌はその規制がそれほど厳しくなく、モデルが商品を着けているビジュアルでも問題はない。

ただ、朝日新聞は気をつけなければならない。衛生版ということで、シンガポールの他にマレーシア、タイなどの数カ国に載るので、モデルが商品を着けているのはバツ。マレーシアなどのムスリムの国では下着の広告はもっての他なのである。

テレビの場合は、製作の前にストーリーをビジュアル化したものを提出する。女性が下着を着け、ポップなミュージックに合わせて踊るストーリーはセクシーすぎるということで却下され、下着を見せることが 中心であるストーリーに変え、無事、製作へとこぎつけた。

あまりにも過剰なコマーシャルは、たとえテレビ局が承認を出しオンエアとなっても、一般大衆から不満の声が多いと、そのコマーシャルを中止にするものもあったらしいから、保守的な方にこしたことがない。ただ、下着メーカーとして効果を考えると難しいものがある。

更に、屋外広告―バス広告やMRT、デパートとなると一気に規制は厳しくなる。
これらの広告はMITAといわれる政府官公庁に許可をもらわなければならない。「ここで返事をプッシュしたら、却下される可能性もあるから」とメディア担当からいわれ、ひたすら返事を待った。

製作などの事を考え、時間切れとなり、商品が見えないビジュアルを再提出して許可をもらうという無念な結果に終わった。ここで私が納得がいかなかったのは、地下鉄の中の広告では、どんなに小さくても商品は載せてはならないが、駅構内の大きなポスターは、商品を露出しても大丈夫なことだ。おまけにこの駅構内のポスターというのは、一社独占で他の下着メーカーが使用している限りは、我々はノーチャンスなのである。

また追い討ちは消費者からもくる。去年政府から許可を得、地下鉄の入り口に下着メーカーが、下着をつけたモデルのポスターを大きく張っていたのを覚えていられるだろうか?この後、消費者からの不満の声が大きく、ついにとりはずすはめになった。

先日も地元紙で、「街にある過激なポスターに気を取られ、運転に集中できない」なんてコメントが載せられていた。まったく下着メーカーにとって、非常にやりにくい市場である。



1998年5月号/Vol.53

明海さんの大人気連載コラム「二カ国目の外国 SINGAPORE」。3発目にご紹介するのは、5月号P.16に掲載されている「政府によるキャンペーンが多い国……」。



☝記事内容

政府によるキャンペーンが多い国


シンガポールに来て驚いたことのひとつに政府が主導するキャンペーンの多さである。

すべて多額の予算が設けられているかのように、街のポスター、紙媒体そしてテレビのコマーシャルでそれらのキャンペーンをさかんに啓蒙している。禁煙キャンペーン、麻薬撲滅キャンペーン、スマイルキャンペーンと1年で多くのキャンペーンが並行されて実施されている。

1980年代さかんに実施された華語キャンペーンでは、多くのシンガポール人が英語とそれぞれの方言の中国語を話す人が多くなるのを恐れて、香港からきていた多くのテレビ番組を香港の広東語から、北京語に吹き替えていたというから意気込みもすごいものだ。その中で、最近私が感じたキャンペーンと社会現象?について話したい。

まずは、「家庭、夫婦の絆」を強調するキャンペーン。
いかに家庭がよいものかをストーリーにしたコマーシャルがオンエアー。こんなことま でキャンペーンする必要があるのかと疑問視していた。しかし、そのキャンペーンを裏付けるかのように1996年の離婚件数は、過去最高と新聞に取り上げられた。

ここ数年の晩婚化に伴い、2万4千件と、結婚件数は減少する中、4,600人が離婚。35歳以下の若年のカップルの離婚が多い傾向らしい。国民の大半がこのHDBに住んでおり、購入までに数年かかる為、それまでの間別居するカップルも少なくないのが実情。その間、夫や妻が自分の生涯の伴侶には相応しくないのではと悩み、カウンセラーに通い始める人すら増えているのが実情。

次は、礼儀キャンペーン。
いささか今年に入ってこのテレビコマーシャルを見なくなったと言うことは、ある程度の礼儀というか、モラルが定着したのだろうか?コマーシャルのシーンはHDBであり、共同生活の中で、「エレベーターでは降りる人を先に待ちましょう」とか、「公共の場はきれいに使いましょう」といった最低限のモラルを例に挙げたものであった。

おまけにコマーシャ ルの一番最後に「ラッキードロー」が入っていた。この「ラッキードロー」とは抽選で商品やキャッシュバックなどが当たるものであるが、シンガポール人はこの「ラッキードロー」が大好き。多くのキャンペー ンには必ずといっていいほど、このラッキードローが登場してくる。モラルキャンペーンにまでに「ラッキードロー」を登場させていた時、シンガポールはまだまだ商品や現金を理由にしないと礼儀キャンペーンは遂行できないのか?と思ってしまった。

最後は、スポーツ奨励キャンペーン。
シンガポールの子供たちは、とかく勉強、勉強である。放課後広場や、公園で遊ぶ子供を見かけることも少ない。野外活動が少ないせいか、MRTや街で見かける子供は、眼鏡をかけている子が非常に多い。

最近流れているコマーシャルでは、小さい子から老人までスポーツをもっと楽しみましょう!といったアニメ風のものが流れている。

これと時期を同じくしてオープンしたジム・カリフォルニア。 何でも多くのTCS(地元テレビ)のタレントがここに通っているということもあってか?本来のスポーツするという目的とは離れ、みかけ(ファッション)を気にする多くの若者で溢れているとのことだ。まだまだこのキャンペーンは年月がかかりそう。



1998年10月号/Vol.58

明海さんの大人気連載コラム「二カ国目の外国 SINGAPORE」。4発目にご紹介するのは、10月号P.19に掲載されている「シンガポールで出産……」。筆者自身がシンガポールで出産されたルポとなっています。いつの時代も母は強し。



☝記事内容

シンガポー ルで出産


シンガポールにきて、早いもので二年半がたった。
こちらに来て翌週から倉庫街?とでもいおうか、パヤレバという日本人をほとんど見かけない地域で、一年ちょっと働いた。

アメリカにいたころは、日本のテレビ番組もカラオケも必要無く、必要だったのは困った時になんでも日本語で話せる一人の日本人と、二週間に一回ほどリトル東京までくり出して食べる日本食位だった。それ以外はアメリカ人との週末のパーティーやテレビ番組をエンジョイし、日本などすっかり忘れていたので、一年半後に帰国する飛行機の中では、アメリカ恋しさに涙が止まらないほどであった。

ところが、なぜか二カ国目の外国—シンガポールに住み始め、無性に日本が恋しくなっ た。二~三カ月に一回、たとえそれが三日間程度でも暇さえあれば東京に帰っていた。

そんな私がシンガポールで妊娠した。 毎日オフィスにいくことに慣れていた私が、東京の知り合いの編集者から依頼された原稿をほそぼそと書く程度に変わった。社会との接触が急になくなってしまい、つまらないような寂しい気持ちになった。

しばらくは出国もできないであろうが、あのカーテンで仕切られた部屋でなんとも「冷たい」雰囲気にさせられる日本の産婦人科を好きになれなかった私は、迷わずシンガポールでの出産を決意した。

今回出産を通して、日本とシンガポールの間に多くの違いを発見した。
シンガポールでは定期検診に夫婦同伴でくることが多い。日本では、産科に旦那さん同伴で来ていた妊婦を見たことがなかった。

マタニティクラスも同様である。夕方六時という比較的早い時間でも、旦那さんがきちんと参加する。私一人で参加しようものならちょっと気後れしてしまうくらいであっ た。

次に定期検診の内容。
シンガポールでは、毎回超音波で赤ちゃんの様子を見るだけで、内診は最後の最後までない。こちらから質問をしなければ、数分ほどで、あっけなく検診は終わってしまう。 聞きたいことはあらかじめ紙に書いておくのが賢明だ。

次に体重管理。
日本ではかなり厳しくチェックをされると聞いていたが、こちらの先生は一向に気にしない。だから自己管理が必要である。

最後に出産方法。
日本ではなるべく自然分娩で、という考え方が強いが、ここシンガポールでは無痛分娩が好まれる。痛さを押さえるものがあるのなら、なぜ使わないのか、というわけで、なるべく妊婦を疲れさせないように(?)という考えからなのか、多くが無痛分娩を選択す る。

また中国系シンガポール人の中には占いで決められた「大吉の日」にどうしても生みたいため、帝王切開を希望する妊婦もいる。

所変ればいろいろと違ってくるもので、中国系の人の中には、産後ヶ月間はシャワーを 浴びない、髪の毛を洗えない、外出をしてもいけない、おまけに窓を開けて外の空気に触れてもいけない、という窮屈な言い伝えを守る人もいる。はっきりした由来はわからないが、友人によれば「昔の中国は風呂が共同で、あまり衛生的でなかったからだろう」という。

妊娠中に一回東京に戻ったが、人と階段の多さに驚いた。そして、シンガポールではよく見かける妊婦姿が東京ではほとんど見あたらず、電車の中でも、街でも、私くらいであった。まだまだ東京では、妊婦が働くのは困難なのだと認識した。



1998年11月号/Vol.59

明海さんの大人気連載コラム「二カ国目の外国 SINGAPORE」。5発目にご紹介するのは、11月号P.22に掲載されている最終回「シンガポールの日本人」。筆者自身が感じた、シンガポールに住む日本人とは……?そしてローカルの方々は日本人のことをどう見ているのか……?



☝記事内容

シンガポールの日本人


最終回はわたしなりに感じたシンガポールに住む日本人と、その日本人をシンガポール人がどのように見ているかについて語りたいと思う。

ひと昔前のことながら、駐在員の人気国3S(サンフランシスコ、シドニー、シンガポー ル)に数えられていただけのことはあり、ここシンガポールは日本人にとっても住みやすい街であると実感する。

まず、治安がよい。そして日系のデパートが多いので、日本食や日本の書籍など、値段は多少ははるものの入手可能である。日本人のコミュニティも大きく、英語が話せなくても一日不自由せずに過ぎてゆく、とまぁ日本と同じような生活がここ外国にいてもできるわけである。ゴルフやテニスなどが手頃な料金でいつでも楽しめるのも魅力の一つだろう。

おまけに海外駐在ということで、住居費と車は会社持ち、ポジションは日本にいる時より昇進され、かつ上司や仕事関係の仲間との面倒な?つきあいも減るわけで、日本帰国を伸ばして欲しいという日本人社員がちらほらいるのも、納得できる話である。ただしこれは過去の話になりつつあり、経費削減の最近では「車つき」が当り前という訳にはいかないようだ。

現地採用で働く人の間でも、海外での就職先としてシンガポールは人気が高いようだ。 アメリカでは、会社でビザの申請をしてくれるところが年々減り、グリーンカードを持っていることを採用の「条件」とする会社が増えている。

その点、シンガポールは今年に入り景気が冷え込み、職探しが難しくなってきているものの、会社がエンプロイメント・パスを申請してくれる。通常、数週間でビザが取得でき、外国人にとって働き始めやすいことが人気の理由なのだろう。

またシンガポールの日系企業では、日本人が管理職に就いているところが多く、アシスタントとして英語が話せる日本人の需要があるが、アメリカの場合だと、日系企業でもかなり現地化が進んでおり、社長一人が日本人で、あとはみな現地人というところも少なくない。そうなると英語が話せる日本人のポジションは必要ないことになる。

では、日本のことをシンガポール人はどう思っているかというと、
—まず日本のファッションや音楽をCoolと思っている若者が多い。その証拠に、日本語が読めなくても日系書店のファッション雑誌を見ているシンガポール人をよく目にする。

一週間に一回放送される「ジャパンアワー」のニュースや日本のドラマを熱心に見てい る女性も多く、私も日本のトレンドについてよく質問される。日本人がアメリカのファッションを身近でクールだと思っているのと同じ感覚なのかもしれない。

でも時には、「ここはシンガポールなのに、一部の日本の会社は、日本的経営を押し付けすぎている」とか、「欧米の人がローカルの人と一緒にショッピングしたりする光景はよく見るのに、日本人は日本人同士で固まって、ローカルと一緒にいるところを見たことがない!」と批判的な声を聞くこともある。

最後に、シンガポールに住む日本人の一人として、日本のような暮らしができることに感謝している反面、東京のような刺激がなくて少し残念でもある。



1996年から続く
リリー・ウォンのおまかせ!クッキング
1998年6月号でラストとなります

1996年6月号よりスタートしたリリー・ウォン先生によるレシピページ。
残念ながら、1998年6月号がラストとなります。最後までどうぞご覧ください。





1998年7月号よりスタート
まる子のシンプルクッキング



※広告は当時のものです

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