#復刻版パルティ

【2011年】復刻版パルティ-面白バックナンバーを振り返り

2004年3月号から全ページカラー印刷に
時事ネタやシンガポール雑学、盛りだくさん

1994年創刊から四半世紀以上にわたり、シンガポールの情報を発信してきたPARTI。
この情報はPARTIの財産!(自分たちで言ってすみません)
独断と偏見で「面白い!」と思う記事をピックアップし、お届けしていきます。
今回は、『2011年』を振り返ります。



2011年は、忘れもしない東日本大震災のあった年です。まずこの場をお借りして、改めまして、この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族や被災された方々に心よりお悔やみを申し上げます。震災より10年経過した2021年にこちらのパルティ復刻版のWEB記事を制作しておりますが、10年が過ぎた現在においても、被災された方々の苦悩や犠牲になった方々のことを決して忘れてはいけない、そんな思いでいっぱいです。

この当時、遠いシンガポールからも支援の手を伸ばしています。(関連記事はこちらから☟

そんな2011年を振り返っていきたいと思います。震災関連の記事が多くなりますが、それ以外の楽しい記事も織り交ぜながら、2011年の過去記事をご紹介していきたいと思います。
☞2011年バックナンバーの立ち読みはこちらから




2011年4月号/Vol.208

まずはじめに、2011年3月11日に発生した東日本大震災後に発行された4月号(2011年4月1日発行)にて、この震災に際して、パルティでできること、シンガポールでできること、という記事がありましたので、ピックアップしました。記事内のウェブサイトは、当然いまはクローズしていますが、この当時、シンガポールで共に情報誌を発行していた日系メディアが団結して、このような支援を行っていたのを、今回復刻版パルティを作る過程で、初めて知りました。



☝記事内容

東日本大震災に際して
parti.シンガポールでできること!×GAMBATTE! JAPAN From Singapore


What we can do for Japan from Singapore
3月11日に発生した東日本大震災において被害に遭われた皆さまに、謹んでお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族に深くお悔やみを申し上げます。

シンガポールにいる私たちが、日本のためにできること。
いま、さまざまな場所でチャリティーイベントやキャンペーンが実施されています。主催者も、参加者も、想いは同じ。海外からでも日本にエールを送りたい。

そんな支援の輪を広げるために、パルティができることは何か。それは、情報を発信するプラットホームになること。
パルティでは、震災・支援情報をいち早くお届けする特別ウェブサイトを立ち上げました。

より多くの情報を迅速に発信するために、日系メディアが団結し、AsiaX、Jプラス、マンゴスチン倶楽部と情報を共有しております。さらに当サイトでは、シンガポールの方々にも支援に参加していただけるよう、英語でも情報を発信しています。

被災地が復興するには、十年以上かかるとも言われています。
被災地でいま、産声を上げた子どもたちが、明るい未来を持てますように。
祈りを込めて続けよう、シンガポールでできること!

パルティ編集部一同


REPORT

GAMBATTE! JAPAN from Singapore
日本人とシンガポール人が手を取り、チャリティー活動

3月17日、シンガポールのライブハウス 「BluJaz Cafe」にて、チャリティー・イベントが開催された。主催は日本人だが、その呼び掛けに応じ、多くのシンガポール人アーティストが集結。もちろん日本人を含め、当地で暮らす世界各地のパフォーマーも多数参加し、音楽やダンスなどを披露した。

合言葉は、「GAMBATTE!」。 募金をした人には、「GAMBATTE! JAPAN」の文字が記されたステッカーが配られ、みんなの心をつないだ。なんと一夜にして集まった募金額は、76,000ドル(4,850,133円)。シンガポール人たちからも「日本に行ったことがあって心配している」「あなたの家族は大丈夫?」と募金係に温かい声が掛かることもしばしば。

日本人社会だけでなく、国籍を超えて支援の輪を広げたこの取り組み、その功績は大きい。同イベントの収益は、シンガポールのNGO団体 「Mercy Relief」を通して、被災地に送られる。
今後の活動にもご注目を!



2011年5月号/Vol.209

続いても、震災後の復興支援の記事となります。2011年2月号から連載がスタートした是永大輔さんの「アルビS社長ノート」より、1記事、ご紹介します。2011年5月号P.27に掲載された、東日本大震災のチャリティマッチ開催時の記事です。中田英寿さん、前園真聖さん、北澤豪さん、澤登正朗さんと、元日本代表ら豪華メンバーをお招きして、チャリティマッチを行ったそうです。



☝記事内容

チャリティマッチ ~S.League Cares,
TAKE ACTION with Albirex Niigata Singapore~


東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。 また、 未だ予断を許さない状況が続いていることに、心を痛めております。

4月2日(土)に東日本大震災のチャリティマッチを開催させて頂きました。
震災に際し、「自分の立場で何かできることを」と、3月14日(月)のシンガポールサッカー協会理事会でチャリティマッチの開催を提案。そこから決定まではあっという間でした。

翌16日(水)には日時など概要をほぼ確定。そして17日(木)に中田英寿さんに電話。すると 「分かりました。前向きに考えます」と、その場でほぼOKのお返事を頂きました。国籍を問わず、関わった全員が「今は緊急事態なんだ」 と強い意識を持っていたからこそ、このスピードで実現できたのでしょう。

今回の目的は主に(1)シンガポールに支援のムーブメントを作る(2)海外から日本へお金を送る(3)サッカーの無限の可能性を表現する、の3つでした。最初の2つは言うまでもありませんが、最後の1つ、サッカーには、絶望や憎しみや情熱といった人々のカオスな感情を、勇気と希望、つまり未来へと昇華させる力があると思っています。

おかげさまでチケットは完売、国内外の多くのメディアにも取り上げられました。集まった義援金は赤十字社を通して被災地へお送りいたします。試合も、会場の皆さまが「想い」を共有し、とてもフレンドリーな雰囲気で終えることができました。

これも多くの方々のご協力、 そしてご来場頂いた皆さまのご支援あってのこと。感謝してもしきれません。今後もいちプロスポーツクラブとして、被災地へのサポートを行っていきたいと思っております。どうぞご理解とご協力をお願いいたします。



2011年5月号/Vol.209

続いては、大きな災害が起きた後の心のケア方法について、山形千尋さんの連載コラム「心ひも解くヒント」に記事がありましたので、ご紹介したいと思います。2011年5月号P.31に掲載されています。なお、直近の連載コラムはコチラから☟ご覧いただけます。



☝記事内容

心ひも解くヒント
急性ストレス障害(ASD)と外傷後ストレス障害(PTSD)



大きな災害の後、一時的に神経過敏になったり不安になったりするのは珍しいことではありません。友人や力ウンセラーに胸の内を語り、気持ちを理解してもらうことが役に立ちます。

多くの被害とたくさんの犠牲者を出した3月11日の東日本大震災から2か月が過ぎようとしています。未だ残されている課題が数多く、私たちには、それぞれの立場での回復と、 国としての復興への長い道のりが待っています。

もちろん、日本人として誰もが大きなショックを受けていることは容易に想像できますが、ここシンガポールでも、直接的な被害を受けた被災者でなくても、心のバランスを崩している方もいます。

例えば、その当日たまたま日本にいて大きな揺れとパニックを経験した方、その後のメディア報道を通して信じ難い映像を目の当たりにし、極度のショックを経験することによって、日常生活に支障がでるまでの影響を受けられた方もいらっしゃいます。

反応の種類として、フラッシュバック、集中できない、過度の警戒心、動悸などがあります。その他に、睡眠の不安定、食欲の変化(食欲低下または過食)も多く報告されています。感情面では、絶望感、罪悪感、不安、苦痛などから、飲酒や過剰な睡眠へと一時的に回避しようとするケースもあります。そういったストレス反応の程度が、本人やまわりが気付き心配するほどでしたら、急性ストレス反応と呼ばれる状態かもしれません。

急性ストレス障害(ASD)の場合は、症状は一過性で自然に回復していきます。ですが、同じような症状が1か月経過しても改善せず、さらに無感情やヤル気消失などが続く場合は、外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性があります。

ASDとPTSDの違いとしては、まず前述した「期間」があります。その他に、ASDは出来事の後、直ぐに反応があるのに対して、PTSDは症状が現れるのが少し遅いこともあります。まわりは皆、当たり前の生活に戻っているのに 「自分だけが弱くて、それができないのでは?」などと考えてしまう場合には、無理をせずに、専門家に相談してください。


This Month’s Hint(今月のヒント)

ASD や PTSDの自覚症状がある場合には
1. ショック自体は「ふつう」のことだと気付くこと。反応は異なっても、あなたが感じているようなことを、周りもまた感じています。
2. 友人、家族に自分の感情や考えを話す。
3. 頑張りすぎずに、周りや専門家に援助を求める。
4. 今まで通りに食事、睡眠をとる。
5. うわさや信憑性のない情報に惑わされないようにする。
6. 体調や精神状態が不安定であるという認識がある場合、大きな決断は一時的に先送りする。



2011年5月号/Vol.209

こちらも震災関連記事です。2011年5月号P.39に掲載された連載コラム「在外やぶにらみ」(著:渡邉正樹)よりピックアップ。



☝記事内容

在外やぶにらみ
これこそ日本人独特(?)放射性汚染に対する感覚


皆様のシンガポール生活を僅かでもより面白く、より楽しいものにできたら、と毎回心掛けているつもりの本コラムだが、 国内、海外をひっくるめた日本人恐らく全員の人生観を< 3.11 > 以前と以降に分断してしまう程の大災害が発生して間もない今回にかぎり、雑文にせよあまり軽々しいことは書けない。ある学者の言葉を借りれば「深刻にならず真剣に」感想を若 干述べてみたい。

シンガポールの皆様も、ここカナダの在外邦人・日系人と同様、東日本大震災、津波と原発事故による甚大な災害を< 未曾有の国難 >と受け止め、国内の家族、親戚、友人、知人等と連絡を取りつつ、同胞の安全と、いつになるやら見当もつかぬ被災地の復興を願ってやまないことだろう。落ち着かぬまま、何とか日常の仕事や用事をこなしているのは当方だけではないはずだ。

募金運動など支援活動はそちらと同様バンクーバーその他の都市でも街頭、ショッピング・センターなどで行われており、ボランティアたちはもちろん人種国籍を問わない。< ガンバレ、日本 > < ガンバッテ日本 >が今や国際語になった感じさえする程、各国の人々が真摯に日本のことを気遣ってくれるのは嬉しいし心強い限りだ。

一つ顕著な現象として、首都圏を含め原発周辺以外の日本各地方における放射性物質による汚染が危険か、という問題について国内メディアと国際メディアの解釈に大きなズレがある。国民の動揺を懸念して< 最悪のケース >には極力言及せずに、細かいデータで説明を試みる東京電力と日本政府に概ね同調する日本大手メディアに対し、海外メディアは< 客観的 >な分析に基づく危険性を強調する。

「お宅の息子さんを日本に送り返したって、それ本当?」といきなり背後から声をかけられ、一瞬うろたえてしまったのはつい最近、行きつけのスーパーでの出来事だ。東京郊外の大学に留学している倅が、大震災が発生した際、たまたま春休みでバンクーバーに帰っていた。

問題の放射性汚染状況については、連日国際、国内両方のメディアで注目していたが、日本人の常識で「首都圏その他はまず大丈夫」となった時点で、 予定通り東京に戻ると言い張る当人の意思に任せたのだ。親戚や友人も居て、皆普通に生活しているので同意もしたのだが、それは日本人の感覚。カナダ人の常識では、日本はまだ大変キケンな所なのだ。そのスーパーで一時アルバイトをしていた倅を気遣う店員のおばさんが、いきなり声をかけてきた訳だ。

非常時には冷静な判断よりも「大事をとって、行くのはやめておこう」という感情論に走るのが人情。今回の放射性汚染に対する諸外国の反応にもそれが見られる。

インド政府が日本の農産物の輸入を一旦禁止してから「誤り」として撤回したり、中国や東南アジアで日本食品店や和食レストランの客足が鈍っているのも「今どき日本食は気分的に嫌」という感情によるものだろう。

火山列島に住み震災や津波を幾たびも体験し、さらに世界各民族の中で唯一核兵器攻撃(原爆投下)を体験している私たち大和民族は、連帯感 をもって災害に耐え抜く独特の資質を備えているのかもしれない。



2011年7月号/Vol.211

震災関連の記事はこの辺で終わりにして、2011年は、トップアスリートへのインタビュー記事が2件ありました。インタビュー当時も、もちろん活躍されていましたが、その後の活躍も目覚ましかった2人の選手へインタビュー! 1件目は、2011年7月号P.3に掲載された、プロサッカー選手「川島 永嗣」さんへのインタビュー記事です。



☝記事内容

SPECIAL INTERVIEW
川島 永嗣


2011年6月、川島選手は1泊2日というタイトな日程で来星。目的は、自身が中心となって推進する「ユニバーサル・フットボール・ジャム(UFJ)in Singapore」の開催。イベント後、UFJに対する想い、今後の展望を語っていただきました。


川島 永嗣(Eiji Kawashima)
1983年、埼玉県生まれ。 プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。現在ベルギーのジュピラーリーグ、リールセSK所属。今年開催のAFCアジアカップでは日本代表の正ゴールキーパーとして、神がかりセーブを連発し、ファンを魅了。

\川島選手にQ&A/

Q1.シンガポールの印象は?
パワーがあって なおかつ品もある。

Q2.最近の趣味は?
ヨーロッパ旅行で リフレッシュ。

Q3.何カ国語喋れる?
英・伊・仏・スペイン・ポルトガル。




僕は完璧な人間ではない、
でもサッカー選手だからこそできることがある。

川島選手は大きい。ピッチに立つとさらにその存在感は増す。トップアスリートとしてのオーラに、子どもも大人も圧倒された。けれど、川島選手は驚くほどすんなりと子どもたちの輪に溶け込んでいった。

「子どもが好きなんです。UFJは、障害児がいるからとか、健常者がいて大人がいるからとか、あんまり気にしてやりたくない。垣根なしに、みんながフラットな状態でやることが一番。サッカーは蹴ればいいだけなので、ボールひとつあればみんなで楽しめます。自分自身も自然でいたいな」

その自然体がみんなに伝染して、イベントは大盛り上がり!

「普段なかなか健常者や障害者の子が触れ合う機会はないと思うんです。障害のある子どもたちだけのためにやるのでなく、親御さんも参加して、 サッカーをすることでみんなが笑顔になっているなと思う瞬間にやりがいを感じます」

川島選手は以前、社会貢献の意義を実感した出来事があったとか。

「川崎フロンターレのときにいつも応援に来てくれる子がいたんです。その子が骨肉腫になってしまって、ビデオレターをもらえないかと言われたんですが、実際に病院に訪問することに。行ったところで僕に何が言えるのかと思っていたんですけど、行ったらとても喜んでくれて。 そのときは早く良くなって試合に遊びに来てねと言いました」

「でも骨肉腫なので時間がかかるもので。だけど、その年の最後のホームゲームのとき、一時退院を許してもらって来てくれたんです。自分は一人の人間、完璧な人間ではない、でもサッカー選手だからこそできることがあるんだなと感じました。誰かにきっかけを与えることができるんだと実感したんです」


アスリートの社会貢献広めたい。
試合や練習の過密スケジュールのなかでの社会貢献活動。東日本大震災の被災地にも訪れた。その原動力はどこから来るのだろう。

「僕は基本的に自分がやりたいと思ったことしかやらないんです。自分がやりたいと思ってやることが一番。今回は、シーズンが早めに終わったので、スペインで1週間休んでから日本に帰り、そのあとベトナムでチャリティーマッチをしてこちらへ。あいている時間を人のために使いたかったんです。普段、自分は応援される立場で本当にたくさんのパワーをもらっているので、何か自分ができるときにパワーを共有できたらいいなって」

これからのUFJ、これからの自分。川島選手この夢はますます大きくなっていく。

「まずはこの輪が広がってほしい。今後ほかのアスリートにもやっていってほしいし、アスリートじゃなくいろんな人たちもやれるような形になっていければと思います。選手としては、去年から海外に出て、日本人のゴールキーパーとして活動していますが、もっともっと日本やアジアのキーパーがヨーロッパでやれるんだというところを見せたいです。個人的にはいま経験していることは、自分が30歳になったときとかに生きてくると思うので、新しい経験をどんどんして自分にプラスにできたらいいなと思います」

“ドヤ顔”で知られる川島選手。自分では全く意識をしていないという。
この日、話を聞いて納得、 彼はとても自然体で奢るところがない。けれど、サッカーを通して培った自信や気迫が表情に表れたとき、無意識のうちに “ドヤ顔”になるのだろう。このイベントでサッカーの楽しみを知った子どもたち。これをきっかけに自分に自信をつけて、いつの日か 川島選手に負けない“ドヤ顔”を見せてくれることを願う。


UNIVERSAL FOOTBALL JAM in Singapore
アスリートの社会貢献活動をサポートするNPO「STAR POWER」が開催するサッカーイベント。障害児、健常者、トップアスリートがサッカーを通じてパワーを与え合い、楽しい時間を共有。2010年横浜を最初に、東京、大阪、ベルギーに次いで、シンガ ポール(主催:SAMURAI PTE LTD)で開催。




2011年11月号/Vol.215

トップアスリートへのインタビュー記事。2件目は、2011年11月号P.19に掲載された、ゴルファーの「松山 英樹」さんへのインタビュー記事です。



☝記事内容

SPECIAL INTERVIEW
松山 英樹


2011年4月、米オーガスタ、マスターズ表彰式。
日本人にとって未踏の場所だったその場に、東北福祉大2年の松山英樹君がベストアマとして列席、シルバーカップを授与されるという快挙を成し遂げた――。

その松山君が2011年9月29日~10月2日、当地シンガポールアイランドCCにて開催された第3回アジアアマチュア選手権で2年連続優勝、再びマスターズ出場権獲得という快挙を成し遂げました。


松山英樹(Hideki Matsuyama)
1992年、愛媛県生まれ。 4歳からゴルフを始め、現在は東北福祉大学に在学。石川遼と同学年であり、ジュニア時代からしのぎを削る仲。日本のアマチュアゴルファーとして、初めてマスターズの出場権を獲得し、将来を嘱望されている。



大きいことは言いたくない。ただ自分のなすべきことをするだけ。

シンガポールでのプレーは初めてとのことですが、暑さ、湿度の高さはプレーに影響しましたか?
松山:暑いのは大丈夫です。ただ去年との違いは「オーガスタに行きたい」という気持ちが大きくなりすぎて、それを制御するのが大変でした。

オーガスタでも今回もゴルフ部の仲間がキャディを務めています。
松山:自分は英語が苦手だし(笑)、何より仲間が担いでくれると「一緒に戦っている」という強い気持ちになれる。誰がキャディでもプレーするのは自分ですし。ただ、今回の小林も前回の大将(ゴルフ部の同級生でマスターズのキャディを務めた岡部大将君)も、“選手”なので申し訳ないな、という気持ちはあります。

4歳でゴルフを始められたきっかけは?途中でやめたいと思ったことは?
松山:父親の影響で始めました。そりゃ何度もやめたいと思ってます!父親にクラブ捨てられそうになったこともあります。でも「自分はやはりゴルフをしなくてはならない、自分のなすべきことはこれなのだ」 ということをなんとなく確信していて、泣きながらクラブを拾いに行きました(笑)。

マスターズで獲得したシルバーカップはいまどこに?
松山:僕も分かりません。あとで送ってくれると言っていたんですが(苦笑)。
※インタビュー後の2011年10月12日、本人の手元に半年ぶりに到着。

シンガポールに住む我々一般の日本人も、3月の震災以降、チャリティ活動に取り組んだりと、日本への思いを強めています。松山さんも海外の試合に臨むにあたり、特別な思いはありますか?
松山:偉そうなことは言いたくないです。ただ自分が頑張ることで元気になってくれる人がいるなら、それは嬉しいです。自分のできることをただやるだけ……です。


震災直後のマスターズ、その後ユニバーシアード優勝、日本学生選手権優勝、そしてアジアアマチュア選手権2連覇。今年の驚異的な強さの裏に込められた“想い”、多くは語ろうとしない松山君に“真の強さ”を感じました!



2011年9月号/Vol.213

中田英寿さんらを招き、キャリティマッチを行ったアルビレックス新潟シンガポール。
2011年7月30日に悲願の「リーグカップ優勝」を飾りました!その時の記事をご紹介します。

これまで最高順位5位(12チーム中)だったチームが、この年、飛躍を遂げました。その後、2011年11月19日に開催されたシンガポールカップ決勝では、残念ながら敗れてしまいましたが、確実に今後の手ごたえを感じた1年となったようです。
※2011年11月24日時点:リーグカップ優勝、シンガポールカップ準優勝、リーグ戦4位



☝記事内容

『リーグカップ優勝 ! 』
~設立8年目、念願の初タイトル~


2011年7月30日、アルビレックス新潟シンガポールは、シンガポールでの3つのタイトルの一つである「リーグカップ」を制しました。設立8シーズン目にして、クラブ史上初のタイトル。海外のトップリーグにおいて日本のクラブが優勝すること自体、 世界で初めての出来事です。

大会を勝ち抜くのは簡単ではありませんでした。中2日で行われた準々決勝~決勝の3試合は全て延長戦。しかも、 準決勝と決勝にいたってはPK戦にまでもつれ込む展開。さすがに選手たちは疲労困憊で、普段の軽快なパス回しを見ることはほとんどできませんでしたが、それでも必死に相手選手に食らいつき、戦い続けました。

ちょっと考えられないほどの過密日程の中で強い精神力を見せてくれた選手やスタッフを誇りに思います。また、スタジアムで最高に熱い声援を送ってくれたサポーターの皆さん、チアリーディング、サッカースクールの子どもたち、そしてこれまでアルビSを支えてきてくれた 多くの方々の想いは、ピッチの中にも強く響いていました。

チームだけでなく、クラブだけでなく、みんなで獲ったタイトルです。「リーグ戦」「シンガポールカップ」と残り2つのタイトルにも、まだまだ手が届く状況にあります。次なるタイトルを目指し、全力で戦い抜きますので、ご声援よろしくお願いします!



2011年10月号/Vol.214

いつの時代も、仕事・キャリア・転職・ワークライフバランス……これらに悩まれる方は多いはず。過去記事にはなりますが、そんな方々に読んでいただきたいコラム記事がありましたので、今回、ご紹介したいと思います。

昨年2010年8月号より連載がスタートした「働く女性のキャリア相談室」というコラム記事より、2011年10月号P.30に掲載された転職にまつわる記事です。2010年の記事(8月号~12月号)や、2011年の1月号、9月号、11月号、12月号の記事も面白いので、ご興味ある方はぜひバックナンバーよりチェックしてみて!



☝記事内容

働く女性の「キャリア相談室」
転職でキャリアアップ?~求人動向と転職時期~


《有効求人倍率3倍?》
最近のニュースによりますと、日本から海外への就職、特にシンガポールでの就職希望者が増えているようです。英語圏であることに加えアセアン地区での中心地であること、女性でも夜歩くことができる治安の良さ、交通インフラの整備などポジティブな理由が多く挙げられます。

2008年後半のリーマンショック後は求人数が減ったものの、その後の素早い景気回復により求人数は年々増え続けています。弊社に依頼される求人数も一昨年と比較して約倍増しており、現段階では1社につき3人の求人が出ているような状況です。特に日本国内の需要の低迷により、 アセアン地区での販路拡大を目指し進出してくる日系企業も増えています。


《転職希望者Jさんの挑戦》
さらに好景気に反映されてか、求人案件も多種多様になり、 営業事務的なお仕事だけでなく、経営企画、ジェネラルマネージャーなどの職も増えています。また外資系企業からの日本人の求人もみられ、転職のしやすい環境になってきました。そんな傾向を知り、シンガポールで10年近く働くJさん(30代前半女性)が転職の相談にいらっしゃいました。

斎藤:今やっているお仕事についてご説明下さい。

J:今は営業事務で日本人駐在員の営業サポートを主に行っています。

斎藤:現職でやりがいを感じているところはどこですか?

J:営業部隊がスムーズに動けるようサポートし、その結果営業成績が出ることです。

斎藤:逆にストレスに感じることはありますか?

J:納期に遅れたり、納品したものの中に不良品があったり、取引先から厳しく怒られるときです。また困ったときに上司や同僚のフォローが無い時です。

斎藤:転職したい理由についてお聞かせ下さい。

J:前職も含め7年間同じサポート職をやってきているので、もっと自分で計画を立てて動ける能動的な職種に挑戦したいと思い転職を決意致しました。

斎藤:営業企画ではどのようにパフォーマンスを発揮したいと思いますか?

J:自分の強みはシンガポールでの就労経験が長いことと、営業サポートの経験を通じて自分ならこのように営業したいとイメージができていることです。将来的には自分で企画した商品を営業し、アジアリージョンでトップセールスになりたいと思います。


《転職の選択が正しい時》
経営の神様ドラッカーが「仕事を変え挑戦し続けるのは自分である」と説 いているように、仕事が日常化して心地よくなってきた時こそ、自らのキャリアを決める必要があります。Jさんの場合、現状でもお給料は高いレベルにあるのですが、将来的なキャリアを考え、このままサポート職を続けるよりも企画営業にチャレンジすることを選択しました。ただし、これが2年前だったら求人に出ている職種も限られ、 今回の様にうまくいったかどうかはわかりません。転職を考える際には、転職市場の動向を知っておくことも大切なのです。


《ポイント》
●自ら高い目標を掲げ挑戦意欲を忘れないこと。
●転職後の中長期的なキャリアをイメージすること。
●求人動向を把握し、転職の時期を見極めること。



2011年11月号/Vol.215

続いては、2011年11月号P.12に掲載された「シンガポールウェディング なんでもQ&A」をピックアップ。(Q&Aのみ)
現在コロナ禍で、海外への渡航もできず、また大人数でのパーティーも難しい状況ではありますが、自分たちらしさを全面に取り入れたオーダーメイドなウェディングが、今日本でも話題です。ウェディングを考えている皆さま、一生に一度のハレの舞台、思い出に残る素敵なイベントになりますように……
※この当時の情報となります



☝記事内容

シンガポールウェディング なんでもQ&A


シンガポールのウェディングにまつわる疑問を、ブライダル・コンサルタントの本山瑠美子さんにあれこれ訊いてきました。
※本山瑠美子さん:以前シンガポールに住んでいた経験から、当地で挙式する新郎新婦をサポートしたいと 2001年「Rumiko Wedding」を 創設。披露宴の司会も務める。


Q1.準備期間はどのくらい必要?
A.だいたい半年から3か月くらいです。

Q2.日本からのゲストは平均何人?
A.挙式のみの場合、15名ほど。

Q3.平均予算はどれくらい?
A.10名参列の挙式で約7500ドル。食事会は1名150ドル程度。

Q4.最近の流行を教えて!(2011年当時)
A.英国キャサリン妃の袖長ドレスが人気。SMAPのCM効果で、宿泊はマリーナベイサンズへ。

Q5.お勧めシーズンは?
A.華僑はゴーストマンスの7月、8月には挙式を避けます。そのため、この時期は会場の予約が取れやすいです。

Q6.避けた方がよい時期は?
A.旧正月明け直後は、生花市場がクローズする関係で花の鮮度が悪いのであまりお勧めしません。

Q7.ローカル系のご祝儀は?
A.ホテルによって異なりますが、中華系は8が付く数字が吉なので、88ドルなど。赤いアンパオに入れて。

Q8.ゲストの服装の注意は?
A.ローカル系の場合、黒は避けましょう。中華系は赤、マレー系は緑を好みます。

Q9.日本と違う点は?
A.日本のような挙式会場がないため、スタッフにノウハウがなく、進行管理が難しいです。 日本スタイルの挙式・披露宴をご希望なら、専門コーディネーターにご相談を。

Q10.人気の会場は?
A. ラッフルズホテル、植物園、チャイムスなど。
なんとシンガポール動物園でも挙式ができます。新郎新婦がゾウに乗って登場し、リングピローを背に乗せたポニーが指輪を運ぶ楽しいウェディングです。



2011年12月号/Vol.216

続いても、この当時のトレンド情報をご紹介!
2011年12月号P.31に掲載された東京不動産の高野徹さんの連載コラム「佐藤さんの住宅探し」に、この当時(2011年から2012年にかけて)の賃貸住宅市場についての記事がありましたので、ピックアップ!
※現在2021年も、東京不動産の高野徹さんのコラムは続いています。直近の連載コラムはコチラから☟ご覧いただけます。



☝記事内容

「佐藤さんの住宅探し」
最近の賃貸住宅市場について


今回は佐藤さんが不動産業者の山田さんに、最近の賃貸住宅市場について聞きます。

佐:最近私の知人が契約を更新するのに、家主さんから家賃の値上げを要求され、会社の予算もあるので、据置をお願いしたところ、家主さんから出ていってくれと言われていますが、そんなことが起こるのでしょうか。また、日本の場合、家主さんの都合で家を追いだされる時には立ち退き料とか引っ越し代とか請求できることもあると聞いていますが、 そういうことはできるん でしょうか。

山:日本の場合は旧借地借家法という法律でテナントの権利が相当保護されていましたから、そういうこともありうる話でしょう。しかし、現在では定期借地借家法があり、この法律のもとで締結されている賃貸借契約はこれまでとちがって家主さんとテナントさんの立場はより対等になってきており、世界スタンダードに近づいたと言えるでしょう。シンガポールでは基本的に賃料は上がることもあれば、下がることもあります。

佐:現在の家賃相場はどうなんでしょうか?

山:リーマンショック前に一旦ピークを迎えた住宅賃料は、リーマンショックで一旦下落しました。しかし、欧米の景気が悪く、東南アジア、中国、インド地区にまた人々がもどり、あっという間に回復して、現在ではリーマンショック前よりも賃料が高いという状況になっています。

佐:今後はどうなるのでしょうか?

山:さすがにそろそろ景気減速感が出てきて、不動産売買市場も落ち着きをとりもどしてきており、経済成長も鈍化するものと思われます。

佐:そうすると今がピークということでしょうか。

山:住宅賃料は景気全体が減速し、売買金額に影響が出、その次に賃料に影響がでます。そのため、景気が悪くなったからといってすぐに賃料が下落することはなく、大体半年くらい遅れて賃料に影響がでます。そのような意味では現在の賃料水準がピークと言えるかもしれません。

佐:いつ頃から賃料は下がり始めるのでしょうか?

山:おそらく景気後退から半年後、早くていまから6か月後には下がる可能性がありますが、ちょうど日系企業の異動時期にあたっているため、その後ということもあり得ます。


今回のポイント
●現在の賃料はほぼピーク。(2011年12月頃)
●賃料の上下動は景気全体、不動産売買動向から約半年遅れ。
●早ければ今から6か月頃に賃料は下がり始める可能性がある。



2011年1月号/Vol.205

続いては、肩こりや足の疲れがひどい時に試してみたい「サロンパス使い」。2011年1月号P.10にその活用方法が掲載されていたので、ご紹介します。久光製薬のサロンパスって、世界中で売られているのですね(驚)!そして、昭和9年にできたサロンパスの開発秘話も実に面白い♪
「Pick Up by Nishino Pharmacy」の直近の連載コラムはコチラから☟ご覧いただけます。



☝記事内容

Pick Up by Nishino Pharmacy
サロンパス SALONPAS Pain Relief Patch
情報提供:久光製薬株式会社


世界30以上の国や地域で愛用中
貼り方を究めて、 肩コリ知らずに!

現代人を悩ます肩コリの原因は、血行不良、筋肉への酸素不足、乳酸などの蓄積による筋肉の硬直など。たかがコり、されどコリ。コリの解消は、単なる疲労回復に留まらず、筋肉の柔軟性を高め、ケガや歪みの予防にもつながります。さらに、血流を改善することから、脳の活性化にもいいとか。

久光製薬の開業は江戸時代。
当時は、鉛丹とゴマ油を主成分とする貼付剤が主力製品でしたが、黒い軟膏が肌に残り、使い勝手がイマイチでした。そこで、ゴムを基材とする白い貼付剤の開発を不眠不休で進め、昭和9年、遂にサロンパスが誕生したのです。

今では世界30か国以上で愛される日本が誇るヒット商品。肩コリ、スポーツ後の筋肉疲労、慢性的な腰痛などに効果的です。実は貼り方にはコツがあります。患部の上だけでなく、左右・上下対称に貼ると効果倍増なんです。貼り方を究めて、コリを撃退しましょう!



2011年11月号&12月号/Vol.215&216

続いては、時事ネタをいくつかご紹介。



枝野経産相、リー首相と会談

枝野幸男経済産業相は2011年9月23日、訪問先のシンガポールでリー・シェンロン首相、ゴー・チョクトン前首相、ヤーコブ・イブラヒム情報通信・芸術相、リム・フンキャン通産相と相次いで会談した。一連の会談で経産相はシンガポール側と、文化関連産業の育成強化やアジア新興国のインフラ整備で両国が協力することで一致。日本政府が交渉参加を検討している環太平洋連携協定(TPP)などをめぐり意見交換した。

日本政府は今回の協力合意で、「クール・ジャパン」と呼ばれるファッション、工芸品などの産業を担う日本の中小企業と、アジア域内に店舗網を有するシンガポールの小売り・流通企業を結び付け、中間層が増えるインドネシアや中国などの新興国市場開拓を後押しする考えだ。10~12月にシンガポール で「クール・ジャパン月間」を開催し、情報発信を強化する。また、シンガポールは家具、ファッション分野の地元企業の強化を目指しており、日本側は著名デザイナーの講師としての派遣や、工業デザインの表彰制度のノウハウ提供などで協力する。


シンガポール航空のLCC子会社、来年4月に運航開始

シンガポール航空(SIA)は、設立準備を進めている中距離国際線専門の格安航空子会社(LCC子会社)について、2012年4月にボーイングB777-200型機1機で運航を開始し、その後3か月以内に運航機材を4機に、2016年には144機に順次拡充する方針だ。

SIAのアジア域内航空子会社シルクエアの運航機材は現在16機だという。SIAのLCC子会社は、社名を「スクート(SCOOT)航空 」とする見通し。運航機材は、B777-200型機を採用する計画で、当初の数機は親会社のSIAから譲渡を受ける機材を改造して使用する。SIAはB777-200型機を定員323席(2クラス制)で使用しているが、LCC子会社では定員を約400人に増やす見込みだ。


シンガポール人の1人当たりGDP、2020年に米国超える

シンガポールの銀行大手DBSバンクがまとめたアジアに関する最新のリポートによると、シンガポールの1人当たり国内総生産(GDP)は、2020年に米国や他の東アジア諸国を上回る見通しだ。ただ、年齢の中央値は現在の41歳から46歳に上昇し、高齢化が進んだ国の一つとなる。

現在の1人当たりGDPは4万7400米ドル、2020年には7万600米ドルに急増する見通し。米国の予想5万6800米ドルを約25%上回るほか、1960年代 以降、急速な発展を遂げ、シンガポールとともに「アジアの虎」と呼ばれた香港、韓国、台湾より多くなる。リポートは「GDPが着実に拡大する一方で、人口の伸びは比較的緩やかで、シンガポールの1人当たりGDPは増加を続ける」としている。

ただ、シンガポールの成長ペースは鈍化し、向こう10年間は平均4.8%と見込まれている。これは1991年~2001年の7.2%、2001年~2010年の5.7%を下回る。





外国人雇用、業界ごとのルール必要

シンガポールに拠点を置く国内外1万7000企業が母体となっているシンガポールビジネス連盟(SBF)は、2011年10月1日に開催された「グローバル・エンターポリス@シンガポール・サミット」の中で、雇用ルールの透明性を高めることが必要だと指摘したほか、外国人雇用の制限強化など新たな労働政策に対応するため業界ごとの規則が必要だと主張した。

同国政府が導入した、課税による外国人従業員数の制限や労働許可のルール厳格化は、同国に拠点を置く企業にとって悩みの種になっている。 SBFのホー・メンキット会長は「SBFは、外国人労働者の定員数の増加を主張しているのでなく、例えばローカルスタッフを見つけられない飲食や建設業の企業を支援するなどの政策転換が望ましい」とコメントした。


永住権申請却下の外国人、過去2年で急増

シンガポールで永住権(PR)の取得・帰化申請に対する審査が強化されたことにより、申請が却下される外国人が急増、過去2年間で12万7066人に上った。2008年は2万2472人だったが、2009年は2倍以上の5万8923人、2010年も15%増の6万8143人だった。労働者党議員の求めにより、テオ・チーヒエン副首相兼国家安全保障調整相兼内相が 議会に提出した移民・検問庁(ICA)の資料で分かった。



2011年8月号/Vol.212

2011年最後も、8月号P.15に掲載の梓椒子のローカルレシピ!カンタン便利!缶詰料理
スーパーにずらりと並ぶ、日本では見たことのないローカル缶詰たち。せっかくだからローカルの食材を試してみたいけど、どうやって料理すればいいのかしら……そんなあなた、必読!毎年好例の梓先生のレシピ集、今回はローカル缶詰を使ったお料理をご紹介します。

中国のお漬物と豚肉がマッチ!ご飯がススム一品
豚肉と香菜芯の炒め煮

香菜芯(シャン・ツァイ・シン)は、細い大根のような中国野菜のお漬物で、福神漬けのような甘辛テイスト。すでにカットされて缶詰に入っており、洗う必要もないから、鍋にそのまま入れて使えて、チャチャっと一品完成!




おめでたい正月料理、おもてなしにもぴったり
レタスとアワビ、髪菜のオイスター和え

高級なイメージのアワビも缶詰なら手が届くお値段。組み合わせる髪葉は、藻の一種を乾燥させたミネラル豊富な乾物で、海苔のような風味が食欲をそそる。中国語の「発財(財を生むという意味)」 と同じ発音のため、旧正月には縁起物として珍重される。さっぱりとしたレタスとも好相性。




甘い麺筋とほろ苦い中国野菜の絶妙コラボ
白青菜と麺筋の炒め物

麺筋の原料は大豆で、日本でいうお揚げさん。元はベジタリアンの食材で、肉などの代わりに利用することが多い。甘みが強く、梓先生のレシピでは汁は使っていないけれど、ローカルの食卓では汁も 一緒に炒めてしまうとか。関西風のきつねうどんに乗せても良い。




鶏の滋味がマッシュルームに滲みる、満腹おかず
鶏肉とマッシュルームの中華ソース和え


ホーカーの朝食でも定番!懐かしサンド
ポークランチョンミートのハワイアンサンド

鶏肉もマッシュルームもお馴染みの食材だけど、ローカル調味料のダーク&スイートソースで和えれば、たちまち中華風のおかずに。生野菜の値段が高騰したとき、缶詰野菜はお財布の救世主!気付いたときに買い置きしておくと、冷蔵庫が寂しいときに活躍してくれるはず。

また、缶詰の定番中の定番「スパム」。スパムと呼ばれるどこかしい味のランチョンミート。ハワイではスパムむすび、沖縄ではチャンプルーなどに入り親しまれる。シンガポールのホーカーでは、たまごとコーヒーと一緒に朝食に。目玉焼きと共にご飯にのっけて、ダーバオ(お持ち帰り)することも。




プリッと肉厚ころころキノコは家族の人気者
ふくろ茸とホウレンソウの炒め物

日本の食卓ではあまり見かけないふくろ茸ですが、 中華やタイ料理では大活躍。 肉厚でブリッとした食感で食べ応えあり、味にクセがないので、ちびっこもバクパク!相性が良いホウレンソウとオイスターソースで簡単おかずの出来 がり。



※広告は当時のものです

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