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JAL、シンガポール便が就航65周年
誇りを胸に未来へ—土橋支店長インタビュー

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-Singapore-
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JAL、シンガポール便が就航65周年
誇りを胸に未来へ―土橋支店長インタビュー

5月8日、シンガポールのチャンギ国際空港でレトロな紺色のハットと制服をまとった客室乗務員が笑顔で乗客を見送った。
65年前の日本航空(JAL)の制服だ。
1958年のこの日、JALはシンガポール―東京便を就航させ、今年で65周年を迎えた。
日系エアラインとして初のシンガポール便就航だった。
これまでの間、JALは両国の架け橋を担ってきた。
現在、JALのシンガポール支店長を務めるのは土橋健太郎氏。
就航当時に思いをはせつつ、新型コロナウイルス禍を経て新たなフェーズに向かうJALの歩みを聞いた。





◇プロペラ機で香港、タイを経由


ホンリョンビルの事務所の様子(JAL提供)

就航した58年は、シンガポール独立の7年前。
「就航の1カ月前となる58年4月にシンガポール支店を開設した」と土橋氏。
その後、支店は中央ビジネス地区(CBD)のオフィスビル「ホンリョン・ビル」に設置され、大きなJALの看板は道路からもよく見えた。
ちなみに、シンガポール航空(SIA)のシンガポール―東京便(香港、台北経由)の就航は73年。
全日本空輸(ANA)のシンガポール―東京便就航は91年12月。
JALのシンガポール進出はかなり早い時期だった。


シンガポール―東京便、就航当時の飛行機(JAL提供)

シンガポール―東京便といっても、当時はこの長距離を飛行できるほどの旅客機はない。
土橋氏によると、「当初はプロペラ機で、ダグラスDC6Bという機体を使用した」。
旅客機は羽田空港を飛び立ち、香港とバンコクを経由してシンガポールへ。
「シンガポールでは東部にあるパヤレバ国際空港を利用した」。
81年にチャンギ国際空港が開港する前の話だ。パヤレバ空港は現在、空軍基地として使用されている。

当時の様子を知る人物の一人は、史跡ツアーガイドの顔夕子さんだ。
67年にシンガポールに来て、国際結婚した。
2020年2月に行われた歴史セミナーでは、シンガポールへの渡航の際「香港を経由した。客室乗務員は振り袖姿だった」と語っている。
土橋氏によると、JALでは過去に「食事の時に客室乗務員が着物姿でサービスをすることがあった」。
上下セパレート式で、素早く着られるような工夫が施されていたという。

シンガポールへの直行便が就航したのは1977年。
就航から19年目を迎えていた。当時としては大型のジェット旅客機、ダグラスDC8―61型を使用。
87年には、シンガポール籍(永住権取得者含む)の客室乗務員の基地をシンガポールに設立した。
当初の所属は10人ほどだったが、多い時期は95年で300人以上の要員を抱えた。
英語と中国語も堪能なシンガポール基地の客室乗務員は、日本の基地の客室乗務員とともにシンガポール―東京便に限らず北米や欧州便などでいまも活躍している。





◇未曽有の事態、乗り越えて

コロナ禍は過去に類を見ない異例続きの事態となった。
土橋氏が2018年にシンガポール支店長として赴任して約1年後の出来事だった。
それまで毎日3便で運航していたシンガポール―東京便は徐々に本数が減り、20年5~6月には旅客便運航を完全に停止。
渡航制限などを受け、全ての販売を止めざるを得なかった。
乗客はいないが、その間も貨物便としての運航は継続した。
運航していたことで整備士などの仕事は辛うじてあったものの、問題は客室乗務員だった。
「シンガポール基地のクルーは約2年間、飛べない時期があった」。
しかし、コロナ後には顧客が戻ると判断したJALは「一時帰休や解雇は一切せず、雇用を守る強いコミットメント」を貫いた。

「関係先企業の協力を得て、出向という形で(客室乗務員の)活躍の場をもらった」と土橋氏は説明する。
サービス見直しや日本語学習をしつつ、「復便と乗務の復活に向けた準備を着々と行っていた」という。
人流が感染を拡大するとされていた時期、エアラインだからこその緊張感の中で感染防止対策を徹底した。
「苦労もあったが新しい学びも多々あった」と振り返る。
これまでやってこなかった物販、乗務員によるマナー講座、学校へのセミナーなども手掛けるようになった。





◇65周年への思い


就航当時の制服を着た乗務員(右)と現在の制服を着た乗務員(左)=5月8日、JAL提供

65周年の節目について、土橋氏は「新たな歴史の一ページを刻むことになる。
これもお客さまによる長年のご支援の結果。心から感謝を申し上げたい。
シンガポールと日本をつなぐ最も長い歴史を持つエアラインとして、誇りと感謝の気持ちを忘れず、これからも安全で快適な空の旅を提供することに努めていきたい」と話した。
これを記念し、航空券などが当たるキャンペーンを5月31日までウェブサイトで実施した。

3月26日から始まったJALの夏ダイヤでは、シンガポール―東京便がついにコロナ前と同じ毎日3便に戻った。
内訳は羽田2便と成田1便。シンガポール基地の客室乗務員は昨年4月から全員が乗務に復帰している。
コロナ前と違うのは飛行機の機材で、羽田発着のうちのJL036とJL037にボーイング787―9を使用。
クラスはビジネス、プレミアムエコノミー、エコノミーの3種類。
エコノミーでもシートピッチ(前の座席との間隔)が広くゆったりとしていて、「世界で最もラグジュアリーなエコノミークラスと言われ、好評をもらっている」と土橋氏はPRした。





◇ZIPAIRが就航

21年9月には、JALの子会社で格安航空会社(LCC)のZIPAIR Tokyoが就航した。
ZIPAIRの担当者によると、シンガポール―東京便は、増便を行いながら23年3月末からは週7便のデーリー運航を実施している。
シンガポール線以外ではソウル、バンコク、ホノルル、ロサンゼルス、サンノゼのネットワークを持ち、23年4月時点で6路線を運航しているという。

担当者は「コロナ禍による渡航規制緩和後の旅客マーケットも順調に回復しており、引き続き競争が激しいマーケットであるものの、今後も日星双方の渡航需要は堅調に推移すると期待している」とコメント。
今年6月に北米3路線目のサンフランシスコ線、また7月にマニラ線を開設することを決めており、ZIPAIR全体の機材も4機から今年度末までに8機体制まで事業拡大する予定と話した。





◇ESGを経営戦略の軸に

JALグループとしては「ビジョン2030」を掲げる。
30年に向けたグループのあるべき姿として、「安全安心な社会、サステナブルな未来を目標として、『ESG』を経営戦略の軸に据えている」と土橋氏は説明する。
シンガポールでは、地元の人々に「大都市圏だけでなく、日本の地方都市の魅力も紹介したい」とし、JALの国内線ネットワークを活用する。
また、コロナで変化した顧客の「ニーズを察知して、安全安心を提供する機動的な対応を取っていきたい」と意気込みを語った。

「パイロットを目指していた」という土橋氏の生まれは米国。
小学校3年の時に日本・神奈川県へ帰国した。89年にJALに入社。
フランクフルト支店、国際業務部マネジャー、国際提携部長を経て18年よりシンガポール支店長を務めている。
シンガポールでの趣味はゴルフという。
65年の歴史を誇りに、コロナ後の展開に期待を寄せる。



(時事通信社 シンガポール支局)









※2023年5月30日にアップデートされた情報です。


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