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【2002年】復刻版パルティ-面白バックナンバーを振り返り

まだまだモノクロ印刷時代が続きます
懐かしい記事からシンガポール雑学まで

1994年創刊から四半世紀以上にわたり、シンガポールの情報を発信してきたPARTI。
この情報はPARTIの財産!(自分たちで言ってすみません)
独断と偏見で「面白い!」と思う記事をピックアップし、お届けしていきます。
今回は、『2002年』を振り返ります。




まだまだモノクロページが主流となりますが、2002年6月号より、少し表紙の雰囲気が変わりましたね。新しい試みなのでしょうか。2002年は文化・教育系の情報を多くピックアップしました。
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2002年6月号/Vol.102

はじめにご紹介するのは、文化ネタ。2002年6月号P.12-13に掲載されたシンガポール人のお葬式についての過去記事です。20年近く前の記事のため、様式や費用は変わっているところも多々あると思いますが、時代の変化も含めてお楽しみいただければと思います。棺桶や喪章のことなど、日本人には知られざる話も多いはず。



☝記事内容

シンガポールのお葬式-中国系-


ピークシーズン
シンガポールのお葬式のピーク・シーズンをご存知ですか?日本と同じく季節の変り目、旧暦 の3月と10月です。

シンガポールには約60軒のお葬式屋さんがあります。人口比に応じてそのほとんどは、中国系です。しかし中国系といっても、道教、仏教、キリスト教、創価学会など、信仰によってお葬式の形式はさまざまです。

一番派手でお金がかかるのが道教式です。パレードを連ね、10万ドル以上かけることもあります。そしてもっとも簡素なのが、創価学会式。それでも3千ドルはかかるそうです。日本でも最低料金はこんなものですから、物価水準を考えるとシンガポー ルのお葬式は高くつきます。


ドライアイスは使わない
その原因のひとつは、遺体を最低でも3日間安置するためです。5日間、さらには7日間安置する 場合もあります。日数は中国風に奇数になっています。このため、当地では保存用にドライ・アイスを使わず、遺体の血液をフォルマリンと交換します。ちなみにこの費用は、3日間仕様で200ドル(洗浄、化粧、着替え料込)、7日間仕様で280ドル。体の大きさに関係なく均一料金だそうです。

昔はお通夜に飲み物しか出しませんでしたが、近年だんだん派手になり食事も出すようになったのも費用がかかる原因です。


1万ドルのお棺
イスラム教徒に希望者が多い土葬が認められている(原則として2年間)せいか、棺は、高価なものだと1万ドルのものまであります。Yi Shun、Mandai、Cho Chu Kan地区には、政府が経営する墓地があり、6×10フィートを940ドルで分譲しています。しかし、納骨堂を持つ寺院に遺灰を納めるのが一般的です。


喪章とタブー
読者の中には親族が亡くなった中国系シンガポーリアンが喪章を付けているのに気付かれた方もおありでしょう。出身地や信仰によって多少の違いがありますが、両親を亡くすと、その直後は茶色の網目の布を付けます。1週間後には、両親を亡くした人は黒色、祖父母を亡くした人は紺色の喪章を付けます。葬儀中は他人の家を訪問しないのが習慣になっています。香典の額は、きまりは特にありません。



2002年8月号/Vol.104

次にご紹介するのも中国系の文化ネタ。連載コラム「まんだりん面白話」より2選ご紹介したいと思います。1つ目は2002年8月号P.19に掲載された「縁起言葉❶」です。



☝記事内容

まんだりん面白話
縁起言葉❶


1、『八』について
日本人の学生から「どうしてシンガポール人は『八』という数字が好きなの」と聞かれます。
「まさか、日本人の影響を受けたのではないでしょう」と首をかしげる友人もいます。

わたしはいつも「縁起をかつぐという習慣はどの民族にもあります」と前置きをしてから、「この『八』という縁起数字の由来は日中間の事情がちょっと違います」と答えます。

日本では主に『八』という漢字の形が末広がりなので、だんだん繁栄・繁盛していくという吉の縁起として使われます。一方、中国人は漢字の形ではなくて、発音がいいから使うのです。中国語の『八』の発音は(Ba・1)で、発展、発財、金持ちになることの発 (Fa・1) と似ています。「我発了」といえば、わたしは一発儲かった、あるいは金持ちになったという意味です。

香港、台湾、シンガポールの華人層で流行り出し、最近中国本土にも広がったこの風習。歴史はここ数十 年しかないと思います。


2、新年のお餅について
似たようなことはもうひとつあります。
日本人も中国人もお正月にはよくお餅をついて食べます。

日本人はお餅の粘りと伸びという特性に縁起をかつがせて、命と子孫が長くまたは伸びるようにと願いを込めています。

お餅のことを中国語で「年糕」(Nian・2、Gao・1)と言います。中国人がこのネンガオを食べる時すぐ連想するのは、この「糕」と同じ発音の高で、年年高という意味になり、毎年子供の背も、家の財産もどんどん高くなるようにと祈願するのです。


3、時計を贈るとき要注意
中国人がことばの発音にどれほどこだわっているかをもう一つの例をあげて説明しましょう。

みなさんの中には中国人と友だちになり、日本の習慣にのっとって、時計をプレゼントとしてあげようかと考えていらっしゃる方はいませんか。それはぜひ慎んだほうがいいと思います。

時計を贈与することを中国語では送鐘と言い、これとまったく同じ発音のことばは送終で、臨終を見とどけるという意味になってしまうのです。

掛け時計や置時計はタブーですが、腕時計だったらあまり問題になりません。 なぜならば前者の掛け時計や置時計は鐘で、後者の腕時計は表(Biao・3)というので、終と関係がないのです。

このように日本人は主にことば(特に文字))やその事物の形に注目します。中国人は発音に敏感です。もちろん、日本の縁起物にはこんぶ(喜ぶ)、鯛(めでたい)などもあり、忌み数字の4と9も発音に由来していますからすべてというわけではありません。
※注:ローマ字綴りのあとの数字は中国語の四通りの声調を表すものです。



2002年9月号/Vol.105

続いても、まんだりん面白話より。2002年9月号P.19に掲載された「縁起言葉❷」です。



☝記事内容

まんだりん面白話
縁起言葉❷


前号に引き続き、中国語の縁起言葉と贈り物の話をしましょう。


前回掲載の「縁起言葉」 の中では中国人が贈り物の発音にこだわることにふれました。
ここでいくつかの例をあげておきましょう。

病院などへ患者のお見舞いに行く時、中国人はよく果物を持っていきます。ほとんどのものは大丈夫ですが、「梨」だけ はタブーとされています。なぜならば「梨」の発 音は(li・2)で、「別離」「分離」の「離」と同音になってしまうからです。その他に靴の(xie・2)も、「亂」「邪」と同音で贈呈品には使われません。



数については、中国人はバランスを重視するため偶数のほうが好きです。
「四停八当」(うまくおさまる)、「成双成対」(対になる、アベック)などは、お祝いや、めでたい時に使われます。ただ「九」の中国語の発音は「く」ではなく、「久」(Jiu・3)と同じです。基本的には縁起が良いと考えられています。



贈り物あるいはその包装紙の色、数などにもいろいろなこだわりがあります。
包装紙の色に関しては、日本と同じで黒が嫌がられます。逆に赤はよく使われます。一方、「黄色」は好まれません。その理由は枯れ葉の色だからです。物事が「黄了」(Huang・2、le) というのは「失敗した」という意味です。ただし、黄色に近いオレンジ色や金色は、かえって喜ばれます。


ハンカチ
日本にはブランド品のハンカチと靴下をセットにしてプレゼントする習慣があります。
ハンカチは中国語で「手絹」(Shou・3 Juan・4)と言います。日常生活で使う他に悲しい涙を拭く時にも使います。だから中国人はハンカチで涙を連想してしまうので贈り物にしません。


靴下
靴下は子供用のものは 別として、特に男性に靴下を贈るようなことはしません。
先日、何人かのシンガポーリアンにその訳を聞いたら、ビックリ仰天。昔、熱帯地方では、一生靴下を履かなかったそうです。ただ、土になるまでに一回だけ履く時がありました。それは死体になって納棺される前です。



2002年3月号/Vol.99

教育問題の記事にいく前に、美容(!?)記事を1つご紹介したいと思います。
2002年3月号P.17に掲載された「若返りに効果あり!と聞けば読まずにはいられない、シンガポールの食材 ”長いも”編」です。



☝記事内容

シンガポールの食材
長いも編


若返りに効果あり!と聞けば読まずにはいられない
野生種の山いもは日本が北限ですが、長いもは中国が原産国です。
そうとは知らず、5年程前に上海のローカルマーケットで長い長い、長いもの山を見ました。驚いたと同時に、「これはよい物を見つけた!友達へのお土産にしよう」とトランクいっぱい買い込み、エッサエッサとシンガポールまで持ち帰りました。

この時の長いもはいたって上質で、おろし金でおろすとこってりと固まって、菜箸で持ち上げると一気に持ち上がる腰の強さと手応えがあり、食べても日本のそれと遜色がありませんでした。

近頃当地のローカルマーケットでも時々見かけるようになったので期待を込めて買い求めましたが、これが全くの見かけ倒し。おろし金でおろすと、水っぼくさらさらとした中に粒々のかすがまじっていて、これが口に残ってのみ込めず不快な感触がします。
後で知ったことですが、 上海で買ったのは天然もので、 シンガポールで売られている物は栽培ものだったようです。

それではシンガポーリアンはどういう料理法でこの長いもを食べるのでしょうか。
長いもをそのまま食べるのではなく、乾燥させて「山薬」として用いています。「山薬」 は胃腸を丈夫にし、虚弱体質、冷え性、気力のない人によいとされています。 ねばりの多いものの方がカロリーが高く、たんぱく質に富み、ビタミンB群も多く、水分の多いさらっとしたものは糖分が少ないのでカロリーも低く、 カルシウムがやや多いと言われます。

皮をむいた時のぬめりはムチンといい、若返りに効果があります。その他コリン、アルギニン、皮をむいた時やおろした時に、手や皮膚がかゆくなるのはサボニンの仕業、アミノ酸などを含み、内臓機能を高めます。

日本での食べ方はすりおろして山かけか、短冊に切って酢で和える食べ方が一般的ですが、 中国では前記したように乾燥させた物を薬膳料理のスープの具として用います。 レンコンと合わせるのがもっとも多いようですが、私の場合は『排骨茶』を煮込む時に必ず用います。ちなみに上海で生の長いもをどう料理するのか聞いたところ、3ミリほど短冊に切ってスープの具にするという答えでした。

乾燥させた長いもは『准山(ワンサン)』といって漢方薬の売場で手に入ります。これを何枚かさっと水で洗い、ダシのうちから鍋に入れて煮込み、透き通ってきたら味噌をいれて仕上げると、薬膳みそ汁仕立てのできあがりです。食感はお芋のみそ汁といったところでしょうか、煮込むとふくらんで大きくなるので、半分に折って使うとよいです。わりと使いやすい漢方食材なので、和風薬膳でチャレンジしてみてはどうでしょうか?

滋養強壮のスタミナ食品、美肌を作り消化に良いので、胃腸の弱い人、さらに糖尿病で尿の近い人にもよいといわれています。


ワンポイントアドバイス
酢で手をぬらしてカユミ防止

長いも、山いもは素手で扱うとかゆくなるのが難点。調理する前にあらかじめ酢で手をぬらしておくとかゆくなるのを抑えることができます。



2002年1月号/Vol.97

続いては、2001年12月号から全3回で掲載された「2002年、教育問題」。
今回は、2002年1月号P.21に掲載された第2回目の記事をご紹介します。



☝記事内容

2002年、教育問題


どうなる、どうする「2002年問題」
2002年から新学習指導要領が実施されます。
「生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない」(教育 課程編成の一般方針)。

悪文ながら、よいことずくめのように見えます。教育はどう変わり、進学事情がどうなるのか?3回の連載で、早稲田アカデミーの野村浩視校長に、お話をうかがいます。今回は第2回目です。


どうなる?
先月は、新学習指導要領により、公立校の学習内容がスリム化、ミニマム化され、学力水準が大幅に下落するとご説明しました。その結果、私立校や塾・予備校で別のカリキュラムや学習内容の補完を受ける児童・生徒と、そうでない児童・生徒の学力格差はますます広がります。

また、公立校でも「総合学習の時間」を活用する学校と、そうでない学校とでは、児童生徒の 学力に差がつきます。東京都の品川区では、すでに2000年度からは小学校に「学校選択制」を導入し、2001年度からは中学校でもその選択制をはじめました。

「学力崩壊の時代」が訪れます。
その中で自衛策をとる人と、そうでない人とでは、今まで以上にはっきりと格差が現れます。 公立校の選択においても、ご父兄にそれなりの知識と覚悟が要求されるようになります。


どうする?
新学習指導要領に沿った授業が行われ、教科書もこれに沿ったものになるという現実は受け入れざるを得ません。しかし、教育は国内だけで考えるべき問題ではありません。

子どもたちが、これからの国際競争社会を生きていくうえで、必要な学力はつけなくてはなり ません。

10人の子供がいれば、10の個性があります。将来への道は、それぞれ数限りなく存在します。 しかし、「みんなと同じでいい。何も特別なことをしなくても、自分の道くらい自分で見つけるだろう」というのは、親としてはあまりにも無責任です。

「自分の子供をどう育てるか」ではなく、「どう育って欲しいか」をイメージしてみてください。そして、親と子供の自己責任で、子供の個性に合った道を選択して、それに適した環境を子供たちに用意していただきたいと思います。

危機は逆に考えると、チャンスでもあります。子供さんと対話し、将来への希望を聞き、資質を客観的に見極める絶好の機会です。教育の現状を良く知り、自分のお子さんに合った進路を 選択してください。
次回(最終回)は、「総合学習」とはなにか?塾が担う役割について、お話します。



2002年2月号/Vol.98

引き続き、「2002年、教育問題」。
2002年2月号P.21に掲載された最終回の記事をご覧ください。



☝記事内容

2002年、教育問題


総合学習とは
子供が自ら見つけ、学び、考え、判断し、解決する。
「生きる力」を養うことを目指した総合的な学習の時間(総合学習)の目標です。
しかし新学習指導要領がうたう「ゆとり・落ちこぼれ・いじめ・ 学級崩壊」に対する方策としての総合学習の導入にはさまざまな問題が内在しています。

シンガポール日本人学校の総合科のように、地域に根ざした学習活動を行う学校がある一方で、総合学習を教科に連動させる動きも広がっています。

「新指導要領は最低基準。 できる子にはそれ以上教えてもいい」と檄を飛ばす学校もあります。しかし「総合学習の時間には何に取り組んでもいい」ということで、総合学習の時間に、結局、教科の授業を行うようでは、何のための総合学習の導入なのか首を傾げざるを得ません。

また、総合学習の扱いにおいて、学校ごとの特色を出し、学校ごとの自由裁量を大きくするということは、前回で述べたように、公立校のスタンダードがなくなり、公立校でもあたりはずれがでてくるので、学校を選択する時代が到来する結果になります。


塾が担うこれからの役割
総合学習の時間の使われ方次第では、学習塾は公教育を今まで以上に補完するようになるでしょう。

これまで、文部科学省は「塾は悪者」という姿勢で通してきましたが、生涯教育審議会答申などで、「PTAや塾と連携をとりながら……」という表現で、学習塾を民間教育事業として認めだしました。すでに地域における課題解決型の学習支援プログラムなどの提供をしている塾もあります。

「学校は教育を完結する場ではなく、自ら考え学ぶ生きる力を育む場である」と定義し、地域の力や民間教育事業者との協力を図る一方、学習機関としての塾との役割分担を今後していくという話が出てきているわけです。

これはあたかも、「学校は最低限のことはやる。だからあとは自分たちで塾に行くなどして補ってくれ」といっているかのように聞こえます。今まで、必要悪のように言われていたが、これからは公教育と協力して役割を担う土壌ができつつあります。新指導要領のある意味での副産物なのかもしれません。

お子様が迎える21世紀の学習環境を、ぜひご一緒に考えてみませんか。
早稲田アカデミーシンガポール校 校長 野村 浩視



2002年5月号/Vol.101

引き続き、気になるお子さんの教育問題の記事がありましたので、ご紹介したいと思います。 2002年5月号P.9-10に掲載のあった「通うならインター?日本人学校?」の記事です。



☝記事内容

通うならインター?日本人学校?


日本では教育制度の改革が行なわれ、土曜日が休みになり、教科書の内容が30%削減され、学校で教える科目の時間数も少なくなります。学力低下への不安と、子供にしっかりした力をつけさせたいという親の願いが、こうした教育方針に危機感を募らせる要因となっています。

この教育改革は10年前(1990年代)に考えられましたが、時代はすっかり変わってしまっています。まだ子供の数が多かった10年前は、知識を詰め込まねば入学試験の競争に勝てませんでした。しかし、今は子供の数が少なくなったばかりか、学力低下も問題となり、同時に学力格差も広がっています。

さらに多少名のある高校や大学に入れたからといって、それだけでは切り札にはならない時代になっています。教育は個別化しています。

そんな教育状況のなか、シンガポールで学ぶ心構えをでインターナショナルスクール系の学校を選んだ場合を例にあげ説明します。

ここでは英語を教育言語とした学校を総称してインターとします。
インターは英語を勉強しに行くところではなく、歴史や数学などの科目を英語を使って学ぶところです。

UWC(United World Colleges)を卒業したある生徒から「UWCでは勉強の仕方を習った」と聞いたことがあります。こう言い切れる生徒は、インターに行った価値を体得したといえるでしょう。

インターの環境が与えるインパクトは多くあり、思考の変化も生まれます。自分で考えることを強いられる環境に入れば、自分で考え努力するしかないからです。インターに入り、自己を成長させている生徒はたくさんいます。

低学年でインターに入学した生徒は英語に慣れるのが比較的早いと思います。しかし日本の教育を長く受けた生徒が、インターに入る場合は話が別です。インターの教育方針や英語環境での勉強に苦闘を強いられます。生徒にもよりますが、6ヵ月ぐらいは授業について行くのがやっとではないでしょうか。ただがんばるしかない時期です。

しかしその期間を抜けると、生徒たちに笑顔が見られるようになってきます。インターで、やっていけるという自信が出てくるからでしょう。そしてこの困難が生徒たちの成長機会となっていくのです。

さらに国際的な教育資格を取るためのIBディプロマ・コースに挑戦する生徒は、より大きな困 難を自分に課しています。高校の勉強は学問性が高く、その努力は将来必ず報われます。

インターに通う人にアドバイスをさせてもらえるとしたら、日本語の学習についてです。英語だけの環境になりますから日本語の学習は怠りがちです。

日本の中学、高校に戻る場合にも、避けて通れないのが日本語の問題です。 日本の大学を選ぶ場合は、小論文が課せられます。小論文は、単なる作文とは違い、日本語を論理的に駆使する能力が要求されます。日本の大学を選ぶ場合、大学でのレポートの訓練としても一定期間、何をどのように書くのかという訓練をした方が良いと思います。
記事提供:WAYシンガポール校 宮下直己校長



2002年6月号/Vol.102

続けて、2002年6月号P.9-10に掲載のあった「通うならインター?日本人学校?」の第2回目の記事です。



☝記事内容

通うならインター?日本人学校?


シンガポールは幼稚園から高校まで日本の教育を受けられる恵まれた環境です。
しかし、日本語でたいていの事を通せることが、友人の家に行くのに道を聞くことさえできない子どもを育てる要因ともなります。

教師や親は、子どもを見守る一方で、自分で考える機会を与えることが必要です。
日本人学校であれインターであれ、基礎学力をしっかりと身につけることが大切です。高校で習う数学は大学や実社会でも使い、小・中学校の学習は高校や大学での学習の基礎となります。

中学校で数学が出来ない子どもは、小学校4年からやりなおせばできるようになりますので、小学校の4年からの勉強には注意しましょう。特に小学校では図形や数などの学習に時間をかける必要があります。自然界には完全な円はなく人間が創ったものです。図形は、心の目で見るもので、教師が心の目を持って教えなければ子どもは理解できません。

また中学受験をした子どもは、1年生で知識の貯金がなくなります。2年生ぐらいから成績が落 ちたり、受験科目になかった英語についていけなくなったりします。受験では無理な勉強を強いられますから小休止したところでつまずくこともあります。

高校では大学付属の学校の生徒はたいして勉強しない傾向があります。自分で勉強するスタイルを確立した子どもは別にして、エスカレーター式なのでお茶を濁しやすいのです。大学の人気ゼミには高校でしっかりと勉強してきた学生しか入れません。

学習時期できわめて大事なのは小学校では4年生、中学校では1年生の1学期です。勉強の仕方を新しく身につける時期で学力差が生まれるからです。また、高校では科目の専門性を高める事が大切です。

今はどの大学を卒業したからという時代ではなく、何を学び、何ができるのかが問われます。 小・中学校で基礎的な力を充実させ、高校で科目の本質に触れる学習をすることが将来に向けて大切です。

帰国生の受け入れも多様化しています。インター校出身者を受け入れる、日本人学校出身者を優先する、内申書や学力だけで判断する、とさまざまです。学校を選ぶ場合、学校名だけではなく教育方針や内容まで調べる必要があります。

茨城県にある高校では、生徒に大学で勉強したいことを書かせ、実際に希望する大学の先生に面会させます。自分が選んだ大学の専攻が適切かどうかを判断させ、なぜ大学でそれを勉強し たいのかを考えさせます。「なぜ」が分かればどんな困難にも耐えられることを学ばせます。

海外生活は、子どもたちの将来に大きな影響をあたえます。多感な成長期を海外で過ごした経験を活かしたいものです。
記事提供:WAYシンガポール校 宮下直己校長



2002年7月号~12月号/Vol.103~Vol.108

2002年最後にご紹介するのは、珍しくカラーの記事なのですが……
(2002年当時のパルティ誌面は、最初と最後の4ページずつだけがカラー、中はモノクロ印刷でした。)

シンガポールで出会える植物について書かれた過去記事「シンガポール植物誌」です。 植物はもちろん、町の風景写真もとてもキレイで、お楽しみいただけますよ。珍しい熱帯植物がそこここに咲き乱れるシンガポール、のんびり歩くだけでも癒されますね。


※広告は当時のものです

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