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【シンガポールNOW】
旧日本軍が攻略作戦で投下か
不発弾発見で専門家

-Singapore-
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シンガポールNOW

旧日本軍が攻略作戦で投下か
不発弾発見で専門家

シンガポールで9月20日、第2次世界大戦中の空爆による不発弾が見つかり、26日に処理作業が完了した。
歴史の専門家は、旧日本軍によるシンガポール攻略作戦の最終段階にあった1942年2月に落とされた可能性が高いとみている。
地元紙ストレーツ・タイムズ(電子版)が伝えた。



◇集合住宅1棟倒壊の威力

不発弾は中西部アッパーブキティマロードの集合住宅建設現場で掘削作業中に発見された。
国軍(SAF)の爆発物処理(EOD)部隊は重量を100キログラムと試算。
移動は危険と判断し、現場での計画的な爆発を伴う処理を実行した。
警察は処理に成功したと発表した。

現場は戦略上重要とされた丘「ブキティマヒル」から近い。
1942年2月、旧日本軍は丘を掌握し、シンガポールを植民地支配していた英国の軍隊は撤退を強いられた。
同年2月15日、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文将軍とパーシバル英軍司令官が交渉の末、英国は無条件降伏に承諾し、シンガポールは陥落した。

ストレーツ・タイムズ紙によると、不発弾には集合住宅1棟を倒壊させる威力のある約47キロの爆薬が含まれていた可能性が高い。
オーストラリアのシンクタンク「豪戦略政策研究所(ASPI)」の上級アナリスト、ユアン・グラハム氏は同紙に、重さ100キロの爆弾が時速320キロで飛行中の機体から投下された場合、地中数メートルまで簡単に埋まってしまうと話した。

歴史家で遺産保護関連のコンサルティング会社トータル・ヘリテージの共同創業者のジョン・クォック氏は同紙に、投下された爆弾は通常、着地の衝撃で爆発するか、時限装置によってしばらくしてから爆発するものの、さまざまな要因によって時限装置がうまく作動せず爆発が起きない場合があると説明。
「こうした戦時中の遺物が戦後の除去作業で見落とされ、建設工事の際に発見されることになる」と話した。

クォック氏によると、2019年にドイツの農場で重さ250キロの不発弾が爆発し、幅10メートル、深さ4メートルのクレーターができた。
「今回シンガポールで見つかった不発弾ははるかに小さいが、現場にクレーターを生じさせる能力はあった。
衝撃波で窓やドアが壊れ、金属片や割れたガラスなどの飛散でけが人が出る恐れがあった」と話した。



国軍が防護壁を築き不発弾の処理する様子(ニュース番組CNAのユーチューブサイトより)



◇不発弾、まだ残る

AFP通信によれば、旧日本軍によるシンガポール空爆は1941年12月8日、真珠湾攻撃(現地時間7日)の翌日に初めて実施された。
その後、42年に入って空爆が強化されていった。

米軍事誌ディフェンス・ニュースのアジア特派員、マイク・ヨー氏はストレーツ・タイムズ紙に、旧日本軍がマレー半島を南下して急襲するマレー作戦を実行した3カ月の間に、空爆で6000発余りが投下されたと説明。
今回見つかった不発弾と同じ型などが一般的だったものの、最大で重さ250キロの爆弾が投下される場合もあったと話した。
その上で、「シンガポールでは過去にも複数回、建設現場で不発弾が見つかっており、今回が最後とはならない可能性が非常に高い」との見方を示した。

今回の処理作業では、安全確保のため現場の半径200メートルが立ち入り禁止となり、周辺の住民4000人超が避難した。
約1000世帯が影響を受け、戦時中の不発弾処理と関連した避難としては最大規模になった。

AFP通信によると、爆破処理に伴う爆風を封じこめるため、処理部隊が不発弾を土のうで囲む姿が見られた。
爆発による煙が上る様子が確認された。








(時事通信社 シンガポール支局)







※2023年9月20日にアップデートされた情報です。


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